7芸術論 創作 主体の要件

(一) 主体の要件

主体の要件としてはモチーフ、主題、構想、対象意識、個性などが扱われる。

モチーフ、主題、構想
芸術作品の創作において、まず創作の動機すなわちモチーフがあるが、そのモチーフに基づいて、一定の作品を造ろうという創作目的が立てられる。次に主題(テーマ)と構想が立てられる。主題とは、創作において扱う中心的な課題をいい、構想はその主題に合うように作品が備える内容や形式に対する具体的な計画をいう。

例えばある画家が秋の景色を見て、美しさに感動して、絵を描く場合を考えてみよう。そのときの感動がモチーフとなり、その動機から秋の景色を描こうという目的が立てられ、その目的をもとにして主題が立てられる。そして特に、もみじの木から受けた印象が強くて、それを中心にして秋を表現しようとすれば、「秋のもみじ」というような主題が決定されるであろう。主題が決まれば、次は山、木、川、空、雲などの配置や色はどうするかなど、具体的な構想が立てられるのである。

神の被造世界の創造も、芸術家の創作と同じように表現することができる。すなわち、まず創造の動機としてのモチーフがある。それが「愛して喜びたい」という情的な衝動、つまり神の心情であった。そして御自身に似た愛の対象を創造しようという創造目的が生じた。次に人間「アダムとエバ」という主題が定められた。それから具体的な人間と万物に対する構想、すなわちロゴスが立てられたというように表現できるのである。

神の創造に際して、神の性相の内部において、心情を土台とした目的を中心として内的性相(知情意)と内的形状(観念、概念、法則など)が授受作用を行って、構想(ロゴス)が形成されたのであるが、この四位基台形成はそのまま創作の場合にも適用される。すなわち芸術家たちは、モチーフ(目的)を中心として主題を立て、その主題を実現する方向に内的性相と内的形状の授受作用を行って構想を立てるのである。これは神の創造における内的発展的四位基台の形成に該当する(図7—1)。

ロダン(Rodin, 1840-1917 )の作品の一つである「考える人」は、ダンテ(Dante, 1265-1321 )の『神曲』の中の「地獄編」に基づいて構想された「地獄の門」の、上段の中央に座している詩人の像である。これは、不安と恐怖と激高のなかに呻吟する地獄の人々を見つめながら暝想にふけっている一人の詩人の姿である。「考える人」を造る時のロダンのモチーフは、ダンテの神曲(地獄編)を読んだときに受けた、地獄の苦痛を免れるためには、地上において人間は誰でも善なる生活をしなければならないという強い衝動であったに違いない。そして主題は「考える人」にほかならず、うずくまって深く暝想している男の姿は、まさに彼の構想の産物である。

ところで主題が同じ「考える人」である、韓国の新羅時代の作品として知られている弥勒菩薩半跏思惟像がある。しかし、それはロダンの作品とは全く異なる姿として現れている。弥勒菩薩半跏思惟像は、釈迦の最も優秀な弟子であったといわれる弥勒が、衆生を救うために再び来られるのを待ちわびる民衆の心が、そのモチーフとなっている。その口もとには衆生の救いに対する自信感に満ちた微笑が漂っている。ロダンの「考える人」の場合は知的な苦悶の面を強く漂わせているが、弥勒菩薩の場合は浄化された情が中心となっており、非常に尊く聖なる像として表現されている。同一の主題のもとでのこのような両者の差異は、動機と構想の内容が異なるところに基因しているのである。

対象意識
創作とは、芸術家が対象の立場に立って美の価値を表すことによって、主体である神や全体(人類、国家、民族)を喜ばせる活動であるから、作者はまず対象意識を確立しなければならない。そのとき、最高の主体である神を喜ばせ、神の栄光を表す姿勢が対象意識の極致となる。その内容を見てみよう。

第一に、人類歴史を通じて悲しんでこられた神の心情を慰める姿勢をもたなくてはならない。神は喜びを得るために人間と宇宙を創造され、人間に創造性までも与えられた。したがって人間の本来の目的は何よりも神を喜ばせようとすることであり、創造活動も、まず神を喜ばせるために行われるべきであった。ところが人間は神から離れ、神を喜ばせようという意識をなくしてしまった。それが今日まで、神の悲しみとして残されてきたのである。それゆえ芸術家は、まず何よりも、神の歴史的な悲しみを慰める立場に立たなくてはならない。

第二に、芸術家は神とともに復帰の道を歩まれた、イエスをはじめとする多くの聖人や義人たちを慰める姿勢をもたなくてはならない。彼らを慰めることは、彼らと苦しみと悲しみを共にされた神を慰めることになるのである。

第三に、芸術家は過去と現在の善なる人々、義なる人々の行為を表現しようという姿勢をもたなくてはならない。すなわち芸術家は、罪悪世界の人々によって迫害され、今も迫害され続けている人々の行いを作品に描くことによって、神の摂理に協助しようという姿勢をもたなくてはならない。

第四に、芸術家は来たるべき理想世界の到来を人々に知らせなくてはならない。したがって芸術家は未来に対する希望と確信をもって作品を作らなくてはならない。そういう行為を通じて神の栄光が表現されるのである。

第五に、芸術家は自然の美と神秘を描くことによって、創造主たる神を讃美する姿勢をもたなくてはならない。神は人間の喜びのために自然を造られたのであるが、人間は堕落によって自然の美を通じて喜びを得ることが少なくなってしまった。だから芸術家は神の属性の表れである自然に対して畏敬の念を抱きながら、自然の深くて玄 妙なる美を発見して、神の創造の神秘を讃美し、人々を喜ばせなくてはならない。

芸術家がこのような対象意識をもち、創作に全力を投入するとき、神からの恩恵と霊界からの協助を受けることができる。そしてそこに真なる芸術作品が生まれるのである。そのとき、その作品は芸術家と神との共同作品ともいうことができる。

実際、ルネサンス時代の芸術家たちの中には、そのような対象意識をもって創作活動を行った者が少なくはなかった。例えばレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci, 1452-1519)、ラファエロ(Raffaello, 1483-1520 )、ミケランジェロ(Michelangelo, 1475-1564)などがそうであった。古典主義音楽の完成者ベートーヴェン(Beethoven, 1770-1827)もそのような対象意識をもって作曲を行った。それゆえ彼らの作品は不朽の名作となったのである。

個 性
人間は神の個別相の一つ一つに似せて造られた個性体である。したがって創作においても、芸術家の個性が作品を通じて表現されなければならない。創作は作者の個性——神来性の個別相——の芸術的表現であるからである。そして芸術家は個性を発揮することによって、神を喜ばせ人を喜ばせるのである。実際、偉大な芸術作品には作者の個性が十分に現れている。だから作品には、ベートーヴェンの田園交響曲とか、シューベルトの未完成交響曲というように、作者の名前がついているのである。