7芸術論

2020年7月1日

第七章 芸術論

一般的に広い意味で、文化とは政治、経済、教育、宗教、思想、哲学、科学、芸術などのあらゆる人間活動の総合したものというのであるが、その中で最も中心的なものが芸術である。すなわち芸術は文化の精髄である。ところが今日、自由主義社会、旧共産主義社会を問わず、先進国、後進国を問わず、世界的に芸術はどんどん低俗化していく傾向を示している。退廃した芸術は退廃した文化を生む。今日の低俗化の状態がこのまま継続すれば、世界の文化は一大危機に直面せざるをえない。したがって新文化創建のためには、真なる芸術社会を建設しなくてはならず、そのためには新しい芸術論が切に必要とされるのである。

過去の歴史を振り返って見るとき、新しい時代が到来する度に、芸術は常に指導的役割を果たしてきた。例えば十五世紀ごろのルネサンス時代においても、その時代の先駆者的な役割を果たしたのは芸術家たちであった。また、かつて共産主義革命においても、芸術家たちの貢献が少なくなかった。特に、ロシア革命においては、ゴーリキーの作品が、また中国革命においては、魯迅の作品が革命運動に大きく寄与したことはよく知られている事実である。したがって、これからの新文化創建に際しても、真なる芸術活動が展開されなくてはならないのである。

ソ連を中心とした共産主義の芸術は、社会主義リアリズムと呼ばれた。共産主義者たちは芸術を革命のための重要な武器の一つと見ており、芸術を通じて資本主義社会の矛盾を暴露し、人々を革命へと駆り立てようとしたのであった。今日、共産主義社会の消滅とともに、否それ以前にすでに社会主義リアリズムは消え去っていたのであるが、一時は共産主義社会の芸術界を風靡していた。社会主義リアリズムは、唯物弁証法と唯物史観という確固たる信念に基づいた芸術論であった。それに対して、哲学的根拠の希薄な自由主義社会の芸術論は、脆 弱 性を露呈してきたのである。

したがって今日、たとえ社会主義リアリズムが消え去ったとしても、それが克服されないまま消えたために、その消滅は表面上の消滅であり、再び現れる可能性を全く排除することはできない。したがってその再現の可能性までも完全に一掃するためには、徹底した克服が要求されるのである。すなわち社会主義リアリズムを克服するために、新しい芸術論が必要となるのである。

このような立場から、ここに新しい芸術論として、統一思想の芸術論、すなわち統一芸術論を提示しようとするのである。言い換えれば、統一芸術論は今日の芸術の低俗化現象を阻止しようとするものであるだけでなく、過去の社会主義リアリズムを批判克服しながら、新しい哲学に基づいた代案を提示しようとするのである。それは新文化社会の創建に貢献するためである。神の摂理から見るとき、未来社会は真実社会であり、倫理社会であるだけでなく、芸術社会でもあるために、新しい芸術論の提示はなおさら必要なのである。