4価値論 価値観の歴史的変遷 ギリシア時代の価値観

2021年8月26日
(一)ギリシア時代の価値観

唯物論的価値観

紀元前六世紀に、ギリシアの植民地であったイオニア地方に、唯物論的な自然哲学が出現した。その当時、ギリシアは氏族社会であり、神話を中心とした時代であったが、イオニアの哲学者たちは自然現象に対する神話的な説明にあきたらず、世界と人生を自然法則を通じて説明しようとしたのである。イオニア地方にはミレトスという都市があったが、そこは非常に貿易が盛んで、商人たちは地中海の全域にわたって活動していた。彼らは現実的であり、行動的であった。そのような雰囲気の中で、人々は次第に神話的な考え方を捨てるようになったのである。

その貿易都市ミレトスに紀元前六世紀ごろから唯物論的な哲学者たちが出現した。彼らはミレトス学派というが、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスなどがその代表者であった。彼らは主として万物の根源(アルケー)に対して論じたのであった。万物の根本に関して、タレスは水、アナクシマンドロスは無限定なもの(アペイロン)、アナクシメネスは空気であると説いた。その他にも、ヘラクレイトスは火であるといい、デモクリトスは原子であるといった。そのような自然哲学(唯物論)とともに、客観的、合理的な考え方がはぐくまれたのである。

恣意的価値観(詭弁的価値観)

紀元前五世紀ごろ、ギリシアではアテネを中心として民主政治が発達した。青年たちは立身出世のために知識を学ぼうとしていたが、そのためには、特に弁論術が必要とされた。そこで青年たちに弁論術を教えて、一定の報酬を受け取る学者たちが現れた。人々は彼らをソフィストと呼んだ。

それまでギリシアの哲学は、自然を学問の対象と見なしていたが、自然哲学だけでは人間の問題は解決されない事実に気づき、人間社会の問題に目を向けるようになった。ところが自然の法則が客観性をもっているのに対して、人間社会を支えている法や道徳は国によって異なり、また時代によって異なっていた。したがって法や道徳には、客観性や普遍性がないとして、人々は社会の問題の解決において、主として相対主義や懐疑主義的な態度を取るようになった。プロタゴラス( Protagoras, ca.481-411 B.C. )の「人間は万物の尺度である」という言葉は、真理の尺度は人によって異なるということであって、真理は相対的なものであるという相対主義を示すものであった。

ソフィストたちの活動は、初めは民衆を覚醒させるという一種の啓蒙的な効果を与えた。しかし、次第に懐疑論の立場を取りながら、真理は全く存在しないとまで主張するように至った。そして彼らは、弁論の方法のみを重んじ、詭弁を弄してでも議論に打ち勝とうとするに至り、のちに詭弁家ともいわれるようになった。

絶対的価値観

そのような状況のもとにソクラテス(Socrates, 470-399 B.C. )が現れて、そのような現状を大いに嘆いた。彼は「ソフィストは知った風をするけれども、実際は何も知ってはいないのだ。人間はまず自分が無知であるということを知らなければならない」と指摘しながら、まず自らの無知を知ることが真の知に至る出発点であることを力説した。そして道徳の根拠を人間の内面に内在する神(ダイモニオン)に求め、道徳は絶対的、普遍的であると主張した。ソクラテスの説く徳とは、真実に生きるための知を愛求することであり、「徳は知である」というのが彼の根本思想であった。また彼は徳を知ったならば必ず実践しなくてはならないと言って、知行合一を説いた。

それでは、人間はどのようにして真の知を得ることができるのであろうか。真の知は他人から来るものではなく、自己自身によって悟るものでもない。他人との対話(問答)を通じて、自分も他人も共に納得できる普遍的真理(真の知)に至ることができるとソクラテスは考えた。そして彼は絶対的、普遍的な徳を確立することによって、アテネを社会的混乱から救おうとしたのである。

プラトン(Platon, 427-347 B.C. )は、移り変わっていく現象界(感覚界)の背後に、不変なる本質の世界があると見て、それをイデア界(叡知界)と呼んだ。ところが人間は魂が肉体にとらわれているために、普通、感覚界を真なる実在の世界であると考えている。人間の魂は肉体に宿る前はイデア界にあったが、肉体に宿ることによってイデア界から離れてしまったのである。したがって人間の魂は絶えず真の実在であるイデア界に憧れる。プラトンにおいて、イデアの認識とは、魂が以前に知っていたことを想起することにほかならなかった。倫理的なイデアには、正義のイデア、善のイデア、美のイデアがあるが、中でも善のイデアは最高のイデアとされた。

プラトンは人間のもつべき徳として、知恵、勇気、節制、正義の四つの徳を挙げた。特に、国家を統治するものは知恵の徳をもつ哲学者でなくてはならないと考えた。それがすなわち善のイデアを認識した人であった。プラトンにおいて、善のイデアはすべての価値の根源であった。プラトンはソクラテスの精神を引き継いで、絶対的な価値を探求したのである。