共生共栄共義主義 共義主義

(三)共義主義

共義主義は、共同倫理の思想をいう。これは、すべての人が公的にも私的にも道徳・倫理を遵守し、実践することによって、健全な道義社会すなわち共同倫理社会を実現しなければならないという思想である。今日、資本主義社会や共産主義社会(ソ連、東ヨーロッパなどの前共産主義社会、および中国や北韓などの現共産主義社会)を問わず、人民大衆が持たなければならない価値観、すなわち道徳観念や倫理観念は、ほとんど消えてしまったために、それによって、様々な不正腐敗の現象や社会的犯罪が氾濫し、世界は今、大混乱に陥っている。そして人々は、今日のこのような価値観の崩壊を見て嘆きながらも、その収拾方案を提示しえないでいるのである。

共義主義はまさしく、このような価値観の崩壊を根本的に収拾して、誰でも、いつでも、どこでも、道徳と倫理を守るような、健全な道義社会を地上に立てようという理念である。言い換えれば、資本主義社会と共産主義社会の次の段階として到来するようになる理想社会は、先に説明した共生共栄の社会であると同時に、万人が地位の上下を問わず、共同に同一なる倫理観をもって生活する共同倫理の社会なのである。ところで、共義主義は未来社会、つまり共生共栄共義主義社会の基本となるものであるが、共義主義社会の具体的な内容は三大主体思想が実施される社会である(後述)。

未来の理想社会において、宗教は必要でなくなる。なぜならば、宗教の目的がすでに達成されているからである。キリスト教の教えの目的は、最終的には再臨のメシヤを迎える時まで信仰を強調することにある。儒教の目的は、最終目的には地上に大同世界を成す時まで儒教の徳目を実践することにある。仏教の目的は、理想社会である蓮華蔵世界が地上に出現する時まで仏道を修め、仏法を守ることにある。したがって、再臨のメシヤを迎えることによって、創造理想世界が実現すれば、キリスト教の目的は達成されるのであり、地上に大同世界が実現すれば、それによって儒教の目的も達成されるのであり、地上に蓮華蔵世界が実現すれば、それによって仏教の目的も達成されるのである。

ところで、すべての宗教の目的が達成された世界が共生共栄共義主義社会であって、それがまさに再臨のメシヤを中心とした社会である。したがって再臨のメシヤの教えは、キリスト教の中心真理を含んだ教えであり、儒教の真髄を含んだ教えであり、仏教の核心を含んだ教えである。そして、そのことが明らかになるために、あえて一教派の看板に固執する必要はなくなるのである。同時に、共生共栄共義主義社会は今までの宗教が教えてきたように、未来を準備するための理念としての社会ではなくて、メシヤとともに現実の中で真の愛の生活、すなわち天国生活を営む社会である。その社会は、万人が同一なる価値観をもって生活するために、今までの信仰に重きを置いた宗教教理は実践に重きを置いた生活倫理となる。未来社会のそのような側面を指して、共同倫理社会すなわち共義主義社会というのである。

それでは、共同倫理社会の特徴は何であろうか。第一に、社会生活は三大主体思想に基づいた三大主体の真なる愛の運動によって支えられるようになる。三大主体思想により、一次的には、三大の中心すなわち家庭の中心である父母と、学校の中心である先生と、主管の中心である管理責任者(社長、団体長、国家元首など)の三大主体が、神の真の愛をそれぞれの対象である子女、学生、従業員(国民)に対して、絶えず限りなく施し与えるのであり、二次的には、その対象(子女、学生、従業員、国民)の相互の愛が誘発されるようになり、全社会が愛の園すなわち、倫理の社会となるのである。

そのとき、すべての格差は真なる愛によって消え去るようになる。貧困は、少しでもより多く持つ人たちの真なる愛によって消えてしまう。疎外された者は、管理責任者の真なる愛によって、すぐ慰められる。知識の枯渇を感じる者は、有識者の真なる愛によって、すぐその渇きが癒される。このような社会が、愛の園すなわち倫理の社会になるということの意味である。かわいそうな人を見れば、助けたくてたまらないのが、神の真なる愛であるからである。

そのとき、先生の真の愛を中心とした学校や、管理責任者の真なる愛を中心とした職場や国家は、すべて家庭倫理を拡大した倫理体系となるのである。すなわち先生を中心とする学校は、父母の真の愛を中心とする家庭が教育の側面で拡大された拡大家庭であり、管理責任者の真なる愛を中心とした職場や国家は、家庭が管理や統治の面において拡大された拡大家庭形なのである。そのようにして、社会全体が神の愛によって満たされる。それが共義主義の実体であり、真骨頂である。したがって共生共栄共義主義は、まさに三大主体思想に基づいた社会体制なのである。

第二に、このような共生共栄共義主義社会の基本単位となるのは、あくまでも家庭である。言い換えれば、三大主体の愛が実施される場合に、最も基本となるのが家庭である。実は家庭には四大格位がある。すなわち祖父母、父母(夫婦)、兄弟姉妹、子女の位置がそれである。この四つの格位の間に神の愛が授受されるのである。すなわち、祖父母の愛、父母(夫婦)の愛、兄弟姉妹の愛、子女の愛が授受されるのである。家庭において、そのような愛が授受されれば、自動的に秩序が立てられ、家法が立てられるようになる。そのようにして、家庭秩序と家庭規範が根づくと同時に、思いやりのある、むつまじい家庭の平和が定着する。このような家庭がまさに理想家庭である。

このような家庭を土台とした経済、政治、倫理の社会がまさに共生共栄共義主義社会である。このようにして長い間の人間の念願と、数多くの思想家や宗教者たちの理想がついに成就されるようになるのであり、六千年の間、神がそれほどまで願われた創造理想世界が実現されるのである。

結び

以上でもって、共生共栄共義主義の単純概念としての共生主義、共栄主義、共義主義のそれぞれについて説明した。ところですでに見たように、共生主義、共栄主義、共義主義はそれぞれが分かれることのできない、渾然一体となった理念であり、思想である。そのような主義が実現されるとき、初めて神が構想された創造理想世界が実現されるようになる。そのような理由のために、一つの名称として、共生共栄共義主義と呼ぶのである。そして共義主義は、理想家庭の理念を基盤とする三大主体思想がその内容となっているのである。以上、共生共栄共義主義について説明した。