6倫理論 倫理と道徳

2020年7月1日
二 倫理と道徳

倫理と道徳の定義

家庭における各構成員は、個人すなわち個性真理体として、内部に心と体または生心と肉心の授受作用による四位基台を形成している。それが内的四位基台である。そして家族構成員相互間にも、授受作用によって四位基台が形成されるが、それが外的四位基台である。

生心と肉心の授受作用によって内的四位基台が形成されるとき、生心が主体、肉心が対象である。しかし人間始祖の堕落以後、生心と肉心の関係が逆転してしまった。すなわち肉心が主体となり、生心を支配するようになった。そして肉心の目指す衣食住と性の生活の営みが先次的になり、生心による価値生活は二次的になってしまった。したがって、生心と肉心の関係を元に戻す努力が今日まで続けられてきたのである。聖賢たちによって強調されてきた修道生活、人格陶冶などがそれである。これは個人の完成のための努力であるが、また一方では、家庭の完成、すなわち家庭的四位基台の完成のための努力も、歴史を通じて、たゆみなく続けられてきたのである。

ここで、倫理と道徳に関して定義してみよう。倫理とは、家庭において家庭の構成員が守るべき行為の規範である。すなわち家庭を基盤とする人間行為の規範であり、家庭における愛を中心とした授受法に従う人間行為の規範であり、家庭的四位基台を形成するときの規範である。したがって倫理は、連体としての規範であると同時に、第二祝福である家庭完成のための規範でもある。

それに対して道徳とは、個人が守るべき行為の規範である。すなわち、個人生活における人間行為の規範であり、個人の内面生活における心情を中心とした授受法に従う行為の規範であり、個体的四位基台を形成するときの規範である。したがって道徳は、個性真理体としての規範であると同時に、第一祝福である個性完成のための規範である。したがって、倫理が客観的な規範であるのに対して、道徳は主観的な規範なのである。

倫理と秩序

家庭的四位基台の一定の位置で、一定の目標に向かった行為——三方向(三対象)に向かう行為——の規範が倫理である。そのとき、行為の内容はもちろん愛である。したがって、倫理は愛の位置すなわち秩序において成立する。言い換えれば、倫理は秩序を離れては立てることができない。ところが今日、家庭において、父母と子女間の秩序、夫婦間の秩序、兄弟姉妹間の秩序が軽視ないしは無視され、家庭における秩序が乱れている。そして、それが社会秩序の崩壊の主要な原因となっている。本来、社会の秩序体系の基礎であるはずの家庭が、今日では社会の秩序崩壊の始発点となってしまったのである。

愛の秩序は、性の秩序と密接な関係にある。したがって倫理は、愛の秩序であると同時に、性の秩序でもある。性の秩序とは、性的結合の秩序、すなわち男女間の秩序をいう。父母と子供夫婦の間に秩序があるのはもちろん、兄夫婦と弟夫婦の間にも秩序がなくてはならない。すなわち、弟は兄嫁を性的に愛してはいけないし、兄は弟の嫁を性的に愛してはならないのである。

ところが今日に至り、性の秩序が著しく崩壊し、男女の不倫な性関係はますます加速されているのである。このような性の秩序の破壊をもたらした原因の一つは、既存の価値観の崩壊によって形成された動物的人間観のためであり、他の一つは、官能的な性文化を助長する一部のマスコミのためである。そのために性の神聖性は失われ、性の退廃状態は今日、とても目を開けて見ることのできないところにまで至ったのである。

これはあたかも、エデンの園において、エバが天使長に誘惑されて、天使長と不倫なる関係を結ぶことによって、愛の秩序とともに性の秩序を破壊するようになった状態と、まさに同じである。家庭を本来の姿に戻すためには、新しい価値観が要請される。それは、愛の秩序と性の秩序を確立することのできるものでなくてはならない。統一倫理論が提示される理由がここにある。

倫理・道徳と天道

人間は、宇宙を構成する要素を総合した実体相であり、宇宙を縮小した小宇宙であるが、家庭は宇宙の秩序体系を縮小した小宇宙体系である。宇宙を貫いている法則が天道であるが、それを理法ともいう。したがって家庭の規範すなわち倫理は、宇宙の法則(理法)が縮小して現れたものである。それゆえ家庭倫理は、まさに天道なのである。

宇宙には、例えば太陽系の場合、月—地球—太陽—銀河系の中心—宇宙の中心という縦的秩序と、太陽系における太陽を中心とした、水星—金星—地球—火星—木星—土星—天王星—海王星—冥王星という横的秩序があるように、家庭にも、孫—子女—父母—祖父母—曾祖父母と連なる縦的秩序と、兄弟姉妹のような横的秩序がある。そしてそのような秩序に対応するのが、祖父母や父母の子女に対する慈愛、子女の父母や祖父母に対する孝誠・孝行などの縦的な徳目であり、夫婦の和愛、兄弟の友愛、姉妹愛などのような横的な徳目である。

すでに述べたように、倫理は連体として家族相互間に守るべき規範であるのに対して、道徳は家庭において個人が個性真理体として守るべき規範であるが、道徳も天道すなわち宇宙の法則に似たものである。宇宙内のすべての天体(個体)は、一定の位置において必ず内的四位基台を形成している。すなわち、その内部の主体と対象の間において、必ず円満な授受作用が行われている。それと同じように、人間も個人として一定の位置において、必ず内的に生心と肉心の間に円満な授受作用が行われ、内的四位基台が形成されなければならないのである。このような内的四位基台を形成する際の行為の規範が道徳である。ゆえに、道徳も天道である。この内的な授受作用は、神の心情または創造目的を中心とした授受作用であるのはもちろんである。道徳上の徳目は、純真、正直、正義、節制、勇気、知恵、克己、忍耐、自立、自助、自主、公正、勤勉、浄潔などである。

家庭倫理の拡大適用としての社会倫理

統一思想から見るとき、社会における人間関係は、家庭における家族関係がそのまま拡大されたものである。例えば年長者と年少者がいて、その年齢の差が三十歳またはそれ以上の場合、年長者は年少者を子女のように愛し、年少者は年長者を父母のように尊敬しなければならない。また年齢の差が十歳以内の場合、年長者は年少者を弟や妹のように愛し、年少者は年長者を兄や姉のように尊敬しなければならないのである。

そのように見るとき、家庭倫理はすべての倫理の基礎になるものである。家庭倫理を社会に適用すれば社会倫理となり、企業に適用すれば企業倫理となり、国家に適用すれば国家倫理となるのである。そこで、次のような徳目または価値観が成立する。

国家において、大統領や政府は父母の立場で国民を愛し、善なる政治を行い、国民は大統領や政府を父母のように尊敬しなくてはならない。学校において、先生は父母のような立場ですべての真心を注いで学生を教え、学生は先生を父母のように尊敬しなくてはならない。社会において、年長者は年少者を愛護し、年少者は年長者を尊敬しなくてはならない。会社において、上司は部下をよく指導し、部下は上司に従わなくてはならない。これらは、家庭における縦的な価値観(徳目)が拡大適用されたものである。

家庭における兄弟姉妹の愛の範囲が、同僚、隣人、社会、国家、世界へと拡大されるとき、その愛は、和解、寛容、義理、信義、礼儀、謙 譲、憐憫、協助、奉仕、同情などの横的な価値観(徳目)として現れるのである。
ところが今日、社会も国家も世界も大混乱状態に陥り、どうにも収拾できないでいる。このように混乱状態が継続する根本原因は、社会倫理、国家倫理の基礎となる家庭倫理がすたれているからである。したがって、混乱状態に陥った今日の社会を救う道は、新しい家庭倫理すなわち新しい倫理観を確立することである。そうすることによってのみ、家庭を破綻から救うと同時に、世界を混乱から救うことができるのである。

資本主義社会が形成されてから約二百年になるが、その間、常に問題となったのが階級的搾取と抑圧の問題であり、労資間の紛争の問題であった。マルクスやレーニンのような共産主義者たちが現れたのも、この問題を根本的に解決するためであった。彼らは暴力革命によってこの問題を解決しようとしたが、その結果は完全な失敗であった。そればかりでなく、共産主義それ自体が地上から消滅するに至った。搾取や抑圧の問題、労資問題の根本的な解決は、家庭倫理に基づいた企業倫理が確立する時にのみ可能なのである。これが統一倫理論の立場である。