四大心情圏

(一)四大心情圏

心情の概念
「四大心情圏」が意味することを理解するためには、まず心情の概念を知らなくてはならない。心情とは、「愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝動」を意味する。言い換えれば、心情とは「愛したくてたまらない情的な衝動」をいう。神はそのような情的な衝動のために、すなわち対象を愛したくてたまらない衝動のために、その対象として人間を創造され、人間の喜びの対象として万物を創造されたのである。

心情圏
ここで心情圏とは、心情の対象の範囲のことをいう。例えば、文化圏といえば、一つの文化の範囲のことであり、勢力圏といえば、勢力が及ぶ範囲をいうのである。したがって心情圏とは、心情の対象の範囲、すなわち愛の対象の範囲のことをいう。心情は愛したい情的な衝動であるために、その衝動は必ず行動となって現れるようになっているが、その時の行動がすなわち愛である。それゆえ、心情と愛は表裏一体の関係にある。したがって、心情の対象の範囲とは、愛の対象の範囲となるのである。

四大心情とは、父母の心情、夫婦の心情、兄弟姉妹の心情、子女の心情の四つの心情をいう。心情は愛と表裏一体であるために、四大心情はまさに四大愛を意味する。すなわち父母の愛、夫婦の愛、兄弟姉妹の愛、子女の愛の四つの愛を意味するのである。

縦的な愛と横的な愛、および家庭的愛
四大心情または四大愛を正確に理解するためには、愛の方向性すなわち縦的な愛と横的な愛に対する理解が必要である。縦的な愛とは、神の人間に対する愛、父母の子女に対する愛のような下向性の愛、すなわち上から下に向かう愛、および人間の神に対する愛、子女の父母に対する愛のような上向性の愛、すなわち下から上に向かう愛をいうのである。横的な愛は、横に向かう愛のことで、兄弟姉妹間の愛や夫婦間の愛をいうのである。ここで兄弟姉妹間の愛とは、兄弟同士の愛と姉妹同士の愛、および兄弟と姉妹の間の愛をいう。そして父母の愛、夫婦の愛、兄弟姉妹の愛、子女の愛は、みな家庭で行われる愛であるために、これらは家庭的愛となるのである。

ところで父母の愛、夫婦の愛、子女の愛の三つの愛を、原理では「三対象の愛」と呼んでいる。神を主体と見たとき、父母や夫婦や子女はみな神の対象であるために、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛を「三対象の愛」というのである。したがって、四大心情を基盤とする四大愛は、三対象の愛に兄弟姉妹の愛を加えたものである。

四大心情圏と愛の成長
文先生は愛も成長するといわれる。すなわち、人間が子供から成長していくにつれて、愛も成長していくのである。子供は生まれた時には愛が何であるか全く分からない状態にあるが、父母の愛のもとで成長しながら、少しずつ父母に対する愛が芽生えてくる。それが子女の愛である。ここで子女とは、息子と娘というのではなくて、二人の幼児または双生児のような意味である。男の子と女の子というような性的な概念をもっていない純粋な幼児、児童、子供のような意味の子女である。すなわち、ここでいう子女の概念は、性を超越した中性のような意味である。そのような幼児が、少しずつ父母に対して愛(子女の愛)を感じながら成長して父母となるのである。

次に、兄弟姉妹の間にも愛が芽生えて成長するのであるが、やはり父母の愛を土台として兄弟間の愛、姉妹間の愛、また兄弟と姉妹の間に愛が成長するのである。再言すれば、父母の下向性の愛を受けながら、子女の愛と同様に、兄弟の間に愛が生まれ、姉妹間に愛が生まれ、また兄弟と姉妹間に愛が生まれて、身体の成長とともに、その愛も成長していくのである。それが愛の誘発効果である。そのようにして兄弟や姉妹が成熟すれば、兄弟は他の家庭の姉妹と、そして姉妹は他の家庭の兄弟と婚約し、結婚して、夫婦となる。その時の夫婦間の愛が、まさに夫婦の愛である。

ところですでに述べたように、子女(児童)が完成して成熟すれば、父母(親)となる。そのとき、父母の概念も性別の概念、すなわち父と母という概念ではなくて、子女に対する親という意味の単純概念である。子女すなわち児童が成長を完了すれば、親となって父母(親)は子女を生み、子女に対して父母の愛(親の愛)を実践するようになる。以上が、子女の愛、兄弟姉妹の愛の成長と、夫婦の愛および父母(親)の愛に関する説明である。

ここで特に指摘したいのは、例えば夫婦の愛の場合、兄弟姉妹が成熟して結婚すれば、急に夫婦の愛が生じるのではなくて、成長する中で無意識のうちに、兄弟と姉妹間に夫婦の愛の前段階に相当する異性愛が、少しずつ芽生えていたということである。その理由は、兄弟と姉妹が成長するということは、夫婦となりうる資格を少しずつ備えてゆきながら成長していくことを意味するからである。そのために、肉身の成長につれて無意識のうちに、おぼろげながらも異性愛(夫婦愛の前段階の愛)が芽生えて成長するのである。

父母の愛も同じである。子供が成長し、親となり、そして急に父母の愛が生じるのではない。子供は成長するにつれて、無意識のうちに父母の愛を心の中に感じながら成長するのである。すなわち父母の愛の中で成長するので、自分を育ててくれた父母の愛がどんなものであるかを学びながら成長するのである。そのように、子女の愛と兄弟姉妹の愛の場合だけでなく、夫婦の愛、父母の愛においても愛の成長がなされていることが分かるのである。

愛の内包性
内包性とは、何かの中に含まれる属性のことをいう。したがって愛の内包性とは、一つの愛が他の愛をその内部に含んでいる性質を意味する。そのように他の愛をその中に包含する愛とは、主に兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛をいう。

兄弟姉妹の愛は、子女の愛を内包している。なぜならば兄弟姉妹は子供として成長する過程で、兄弟姉妹の関係を結ぶようになるからである。次に夫婦の愛は、子女の愛のほかに兄弟姉妹の愛も内包している。なぜならば、兄弟姉妹が成長して夫婦となるからである。もちろん、一つの家庭内の兄弟と姉妹が夫婦となるのではない。一家庭の兄弟は、他の家庭の姉妹と夫婦となり、一家庭の姉妹は、他の家庭の兄弟と夫婦となるのである。 兄弟と姉妹が成長すれば夫婦となるので、夫婦の愛の中には子女の愛のほかに兄弟姉妹の愛を内包するようになる。そして父母の愛は、以上の愛をすべて含んでいる。すなわち、子女の愛、兄弟姉妹の愛、そして夫婦の愛までも含んでいる。

以上を心情という側面から見るとき、兄弟姉妹の心情は子女の心情を内包しており、夫婦の心情は子女の心情と兄弟姉妹の心情を内包しており、父母の心情は以上の心情すべてを内包しているということが分かる。したがって、心情圏すなわち心情の対象の範囲という側面から見るとき、子女の心情圏は最も狭く、兄弟姉妹の心情圏はそれよりも広く、夫婦の心情圏はさらに範囲が広く、父母の心情圏は範囲が最も広いということが分かる。

これを具体的にいえば、子女の愛(心情)の対象は父母(親)として一つである。兄弟姉妹の愛(心情)の対象は少なくとも父母と兄弟姉妹の二つである。夫婦の愛(心情)の対象は一つだけのように感じられやすいが、そうではない。統一原理の夫婦観においては、夫は一家庭の男性全体を代表し、妻は一家庭の女性全体を代表している。すなわち夫は夫であると同時に、祖父、父、兄弟を代表する立場であり、妻は妻であると同時に、祖母、母、姉妹を代表する立場である。したがって、夫婦それぞれの愛(心情)の対象は少なくとも相対者、父母、兄弟姉妹の三つである。このように、夫婦の愛の対象は互いに一つのように見えるが実際は二つ以上である。次に、父母の愛の対象はもっと範囲が広くて以上の対象をみな含むようになる。すなわち、子女、兄弟姉妹、夫婦がみな父母の愛の対象となる。(ここで説明した愛の対象の数は、対象として見る観点によって変わりうるが、重要なことは愛の対象の範囲が次第に拡大しているということである…編者注)

ここで一つ付け加えることは、四つの愛、すなわち子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛は、おのおの神の愛のもとで行われるために、神に対して感謝すると同時に、意識的または無意識的に、神を愛の対象とするようになるという事実である。そして愛の対象の範囲の大きさという面から見るとき、子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛は、四つの同心円で表現することができる。これを図示すれば、図2―1のようになる。

代表愛としての夫婦愛
以上の四種類の愛、すなわち子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛の中で、代表となる愛(代表愛)が夫婦愛である。なぜならば、すでに述べたように、夫は家庭内のすべての男性を代表し、妻は家庭内のすべての女性を代表するばかりでなく、おのおの神の一性をも代表するからである。さらには、夫は人類の半分である全男性を代表する立場であり、妻は人類の半分である全女性を代表する立場であり、ひいては夫は全宇宙の個性真理体の陽的な面を代表し、妻は全宇宙の個性真理体の陰的な面を代表する立場であるからである。

すなわち夫婦間の愛は、家庭内の男性の側と女性の側の愛を代表し、神の陽と陰の愛を代表し、人類の男性と女性の愛を代表し、全宇宙の半分である陽的側面と陰的側面の愛(結合力)をそれぞれ代表するために、夫婦愛が最も代表的な愛になるのである。すなわち夫婦愛の中には神の愛のみならず、人間を含む被造世界のすべての愛が内包されている。それゆえ、夫婦愛が家庭的愛の代表となるのである。

天宙の中心と愛の結実体
以上の説明によって、夫婦の愛は単なる男一人と女一人だけの愛ではなくて、神の愛と家庭的愛と被造世界の愛を総合した総合愛であることを明らかにした。愛が総合されれば相乗作用を起こして、抑制しがたい激発力、発動力となって現れる。このような夫婦の結合の位置は、天宙を代表した位置、すなわち天宙の中心の位置であると同時に、創造理想を完成した位置であり、第二の創造主の位置なのである。メシヤすなわち人類の真の父母は、まさにこのような第二の創造主の標準型として来られるお方である。それほどまでにこの位置は、尊く聖なる位置であり、神に似た位置である。

したがって家庭外的なすべての愛(民族愛、人類愛、万物愛、同胞愛、祖国愛など)の根源は、この夫婦の愛にある。なぜならば、夫婦の愛は単なる陽性と陰性の間の愛であるだけではなく、すべての種類の主体と対象の間の愛を代表しているからである。すなわち、性相(心)と形状(体)の愛はもちろんのこと、主要素と従要素(主個体と従個体)の愛も代表しているからである。

例えば、夫(男)は天であり、妻(女)は地である。すなわち夫婦は、主体の神と対象の被造世界との関係である。したがって、夫婦の愛は、神と被造物(人間)との愛を代表するのである。また夫は心でもって妻に指示し、妻は体でもって行動するから、夫婦の関係は性相と形状としての主体と対象の関係である。したがって、そういう意味において、夫婦の愛は、宇宙のすべての無形的存在と有形的存在の間の愛をも代表するのである。また男は主人であり、妻は従う者である。そういう意味で、夫婦の関係は、主従関係つまり主体と対象の関係である。したがって夫婦の愛は、すべての類型の中心(主人)と従う者との間の愛を代表するのである。例えば、師と弟子、政府と国民、太陽と地球、核と細胞質などがそうである。

また、夫は人類の半分である男性の代身存在であり、妻もまた人類の半分である女性の代身存在である。したがって、男女の結合は人類の統一を現し、夫婦愛は人類愛ともいえるのである。そしてまた、夫は全宇宙と霊界の陽的な側面を代表し、妻は全宇宙と霊界の陰的な側面を代表する。したがって夫婦の結合は、全天宙を代表する中心となる。このように見たとき、夫婦の愛は、被造世界のすべての類型の愛を代表している。そのような愛は、みな神の愛が分化したものである。したがって代表愛、総合愛としての夫婦の愛は、まさに神の愛それ自体である。したがって総合愛を現す夫婦の結合の位置は、天宙の中心の位置であり、第二の創造主の位置であり、創造 理想が完成した位置である。

このように本然の夫婦の愛は、実に限りなく広く、深いのである。したがって夫婦の愛によって生まれる子女は、そのような聖なる総合愛の実であり、結実体である。夫婦の愛がそのように神の愛と全被造世界の愛を総合した愛であるために、その愛によって新たに生まれる子女すなわち新生体(新生子女)は、神の子女であると同時に、宇宙を総合した実体相であり、小宇宙の価値をもつようになる。

ここで一つ付け加えたいことは、地上世界において起きる現象は事実上、二次的な現象であって、一次的には、天上世界すなわち霊界において、先に行われるということである。したがって、地上世界に子女が生まれて、成長して夫婦となり、父母となる現象、すなわち人間(アダムとエバ)が生まれ、子女として、そして兄弟姉妹として、愛を少しずつ感じながら成長していく現象が、天上で、さらに正確にいえば神の心の中で、先に起きるのである。すなわち先に述べた子女の成長、兄弟姉妹の成長、夫婦となること、父母となることなどが、地上に現れる前に、天上の神の心の中で理想的な姿として先に現れるのである。

再言すれば、神はアダムとエバを創造する前に、神の心の中でそのような内容を理想的なものとして構想された。そしてのちに、その構想どおりに、アダムとエバが子女として創造され、その構想どおりに、兄弟姉妹として成長し、夫婦となり、その構想どおりに、父母となるようにな っていたのである。

ここで、神の構想の中のアダムとエバ、子女、兄弟姉妹、夫婦、父母をそれぞれ霊的アダムと霊的エバ、霊的子女、霊的兄弟姉妹、霊的夫婦、霊的父母として表現する。以上、説明した内容を図で表現すれば、図2-2のようになる。

四大心情圏の拡大形としての世界的心情圏
四大愛は家庭的愛であり、四大心情も家庭的心情である。子女の心情圏は家庭内での子女の心情圏であり、兄弟姉妹の心情圏も家庭内での兄弟姉妹の心情圏であり、夫婦の心情圏も同じく家庭内での夫婦相互間の心情圏であり、父母の心情圏も家庭内での父母の心情圏である。したがって、四大心情圏の基本形は家庭的四大心情圏なのである。

統一原理によれば、全人類が人類の真の父母を頂点として侍り、大家族社会を成すのが本然の社会の姿である。すなわち世界人類が真の父母を中心とした一大家族を成すのである。言い換えれば、創造理想世界において、人類社会は家庭を拡大した拡大形としての大家族社会となり、個々の家庭は人類の大家族社会を縮小した小家族社会であるといえる。

ゆえに、家庭的子女の心情圏は世界的な子女の心情圏に拡大することができ、兄弟姉妹の心情圏も世界的な兄弟姉妹の心情圏に、夫婦の心情圈も世界的な夫婦の心情圏に、そして父母の心情圏も世界的な父母の心情圏に拡大することができるのである。したがって、人類大家族社会は世界的な四大心情圏となるのである。

すでに述べたように、心情圏とは心情の対象の範囲を意味するのであり、それは愛の対象の範囲を意味するのである。それで世界的な四大心情圏とは、全人類を四大愛の対象と見て、その対象の範囲をいうのである。家庭における子女の心情圏は、子女の愛の圏をいい、したがって子女が愛を捧げる対象すなわち父母をいうのである。それでは、世界的な四大心情圏の中での子女の心情圏とは何であろうか。それは父母と同じような年齢層の大人たちである。すなわち子女の立場から見れば、世界的な大人たちは、子女が父母のように尊敬し、侍るべき大人たちの層である。

兄弟姉妹の心情圏も同じである。家庭内での兄弟心情圏、姉妹心情圏はそのまま家庭内の兄弟と姉妹であるが、世界的な兄弟姉妹の心情圏は、自分の兄弟や姉妹のような年齢層の男女をすべて含むのである。すなわち、これらの年齢層の人々がみな兄弟姉妹の心情圏、愛圏に含まれるのである。したがって、世界のどこに行っても、兄弟や姉妹のような年齢層の男女に会えば、実の兄弟姉妹のように愛を授受するようになるのである。

それでは夫婦の心情圏も同じであろうか。そうではない。夫婦の心情圏はその性格が違っている。世界のどこに行っても、自分の夫と似た年齢の男性、あるいは自分の妻と似た年齢の女性に会えば、自分の夫に、または自分の妻に与える愛と同じような愛を与えてよいかといえば、そうではない。なぜならば、夫婦は一夫一婦制の上に成立する異性の関係だからである。すなわち、夫婦の愛は必ず夫婦の生活つまり性生活が伴う愛であるために、夫婦の愛は夫婦間以外には決して許されないのである。その代わり、似た年齢層の男女に対しては、自分の実の兄弟姉妹に対するように愛すればよい。この点が、他の世界的な心情圏と違う点である。

父母の心情圏は、子女の心情圏や兄弟姉妹の心情圏と同じである。世界のどこに行っても、自分の息子や娘と同じ年齢層の子供たちに会うとき、父母の立場で自分の子女に対するのと同じ父母の心情、父母の愛をもって彼らに接すればよいのである。