8歴史論 基本的立場

一 統一史観の基本的立場

統一史観の基本的立場は、統一原理の復帰原理に基づいた立場であるが、歴史を三つの観点から説明している。第一に罪悪史として、第二に再創造歴史として、第三に復帰歴史として、歴史を見るのである。それから歴史の解釈にあたって、歴史に法則が作用してきたのかという問題や、歴史の始元や方向の問題も提起されるために、そのような問題に関してもここで扱うことにする。

罪悪史
まず統一史観が見る罪悪史について説明する。歴史は人間の堕落によって出発した罪悪史である。そのために人類歴史は原理的、正常的な歴史として出発することができず、対立と藤、戦争と苦痛、悲しみと惨状などでつづられる混乱の歴史になった。したがって歴史上に提起されるいろいろな問題の根本的な解決は、この堕落問題の解決なくしては不可能である。

再創造歴史
次は人類歴史が再創造歴史であるということについて説明する。人類始祖の堕落のために、人類は本然の人間と本然の世界を喪失した。したがって本然の人間は霊的な死の状態に陥った。そして本然の人間と世界は未完成のまま失われてしまった。そのため神は歴史を通じて人間を再創造し、世界を再建する摂理をなされるようになった。ゆえに摂理歴史は再創造歴史となったのである。

したがって神が初めに人間と宇宙を創造されたときの法則(創造の法則)とみ言(ロゴス)が、そのまま歴史の摂理にも適用された。神の創造はみ言で始められたから、再創造もみ言によってなされたのである。しかし再創造といっても宇宙を再び造るわけではない。堕落は人間だけの堕落であるから、再創造は人間だけの再創造である。すなわち人間だけをみ言で再創造すればよいのである。それで神は聖人、義人、預言者などの精神的指導者を立てて、彼らを通じて人々に真理(み言)を伝え、人々を霊的に導いてこられたのである。

復帰歴史
次は復帰歴史について説明する。人類始祖の堕落によって、人間は本然の世界(エデンの園)から追放され、本然の人間の姿を失い、非本然の姿または非原理的な姿になり、非原理的な世界でさまようようになった。したがって本然の世界と本然の人間は、再び回復されなければならない理想として残されたのである。

一方、神においても創造が失敗に終わらないためには、いかにしても非原理的な世界と人間を本然の状態に復帰させなければならなかった。そのために神は、人類歴史の始まりと同時に、罪悪の人間と罪悪の世界を本然の状態に復帰する摂理(復帰摂理)をなされたのである。人類歴史が復帰摂理歴史となったのはそのような理由のためである。ところで神は原理の神であり、人間の堕落は人間が一定の条件を守らないところにあったので、復帰の摂理においても、一定の法則が作用するようになった。それが復帰の法則であった。

歴史の法則性
歴史観を立てるに際して、歴史の中に法則を発見することは最も必要な条件の一つである。しかし今日まで、歴史法則を提示した宗教家や学者はほとんどいなかった。例えばキリスト教の摂理史観を見るとき、説得力のある法則は提示されなかった。そのために、キリスト教史観は今日、科学(社会科学)とは認められず、学問分野から追い出されるようになったのである。

近世に至り、ヘーゲルが歴史の説明に弁証法(観念弁証法)を適用して、人類歴史は絶対精神(理性)が弁証法的に自己自身を外部の世界に展開してきた弁証法的発展の過程であって、最後には自由が完全に実現する理性国家に到達すると主張した。ところがヘーゲルが理性国家であると考えていたプロシアは、自由が実現されないまま、歴史とともに流れてしまった。ヘーゲルのいう歴史法則は現実から遊離したものであった。また二十世紀に入って、トインビーが壮大な文明史観を打ち立て、文明の発生、成長、崩壊、解体の過程を詳細に分析したが、そこにも明確な歴史法則は提示されなかった。しかるにマルクスの唯物史観が歴史の法則を明示し、科学的な歴史観であると自称してきたのである。

統一史観は、歴史に法則が作用してきたと主張するのはもちろん、その法則に創造の法則と復帰の法則という二組の法則があることを明らかにしている。この法則こそ、実際に歴史に作用した真の法則である。そのような歴史の法則が提示されることによって、唯物史観の虚構性が如実に暴かれる。唯物史観の主張する法則とは、実は似非法則であり、独断的な主張にすぎないことが明らかになるからである。統一史観は、神学的立場でありながらも、見事に歴史法則を定立しているのであり、それによって今日まで非科学的と見なされてきた神学的歴史観も社会科学として扱われるようになるのである。

歴史の始元と方向と目標
歴史はいつ、いかにして始まったのかという歴史の始元に関しては、統一史観は人間の創造と堕落を歴史の始元と見る。これはキリスト教の摂理史観と同じ立場である。また人類の始祖に関して、一元論(monogenism)か多元論(polygenism)かという問題があるが、統一史観は人類の始祖はアダム・エバであるとする一元論を主張する。「創造は一から始まる」というのが創造原理の法則であるからである。

それから歴史の目標は高い次元における創造理想世界への復帰であり、歴史の方向はその復帰の方向である。したがって歴史の目標と方向は決定的である。しかし、いかにしてその目標に到達するかは、決定されているのではない。神の摂理のもとで人間の——特に摂理的な中心人物たちの——責任分担が果たされる時に、その時その時の摂理のみ旨が成功裡に達成されるようになるのである。したがって歴史のたどる過程が直行か迂回か、短縮か延長か、それは全く人間の努力いかんにかかっているのである。すなわち歴史の過程は非決定的であって、人間の自由意志に委ねられているのである。特に摂理的人物たちが、与えられた使命をいかに果たすかどうかにかかっているのである。これを責任分担遂行あるいはただ責任分担という。

このように目標は決定的であるが過程は非決定的であると見る立場、すなわち歴史の進行過程が人間の責任分担あるいは自由意志にかかっていると見る見解を責任分担論(theory of responsibility, responsibilism )と呼ぶ。