4価値論

2020年6月30日

第四章 価値論

今日の時代は大混乱の時代であり、大喪失の時代であると規定することができる。戦争と紛争は絶えることなく、テロ、破壊、放火、拉致、殺人、麻薬中毒、アルコール中毒、性道徳の退廃、家庭の崩壊、不正腐敗、搾取、抑圧、謀略、詐欺、中傷など、数え切れない悪徳現象が世界を覆っている。このような大混乱の渦中において、人類の貴重な精神的財産がほとんど失われつつある。人格の尊厳性の喪失、伝統の喪失、生命の尊貴性の喪失、人間相互間の信頼性の喪失、父母や教師の権威の喪失などがそうである。

このような混乱と喪失をもたらした根本原因は何であろうか。それがまさに伝統的な価値観が崩壊したということである。つまり真、善、美に対する伝統的な観点が失われてしまったのである。中でも特に善に対する観念が消え失せて、倫理観、道徳観が急速に崩壊しているのである。それではこのような価値観の崩壊の原因は何であろうか。

第一に、経済、政治、社会、教育、芸術など、すべての分野において、神を排除し、宗教を軽視してきたためである。伝統的価値観のほとんどが、宗教的基盤の上に成立しているために、この基盤が崩れた価値観は必然的に崩壊するしかないのである。

第二に、唯物論や無神論、特に共産主義理論の浸透による価値観の破壊のためである。共産主義は人間を二つの階級に分けて、人と人の間の対立を煽り、不信感を増大せしめ、徹底的な敵愾心を起こさせようとした。そのとき、共産主義は伝統的な価値観を封建的であるとか、体制維持のための道具だといって批判し、価値観の崩壊を図ったのである。

第三に、宗教相互間の対立や思想相互間の対立のためである。そのような対立が価値観の崩壊を加速せしめたのである。価値観は宗教や思想の基盤の上に立てられるので、宗教や思想に対立があれば、人々は価値観を相対的なものと見るようになる。したがって、必ずしも一定の価値観に従わなくてもよいというような考え方が広がったのである。

第四に、中世以後伝わってきた伝統的な宗教(儒教、仏教、キリスト教、イスラム教)の徳目が、科学的な思考方式をもっている現代人を説得するのに失敗したためである。伝統的な宗教の教えの中には、非科学的な内容が少なくはなく、したがって科学に対して絶対的な信頼をもっている現代人には、そのような宗教的価値観は受け入れがたいのである。

伝統的価値観の崩壊の原因をこのように分析するとき、ここに必然的に新しい価値観の定立が要求される。というのは新しい価値観の定立なしには、やがて到来する未来の理想世界に備えることができないからである。それでは、新しい価値観はいかなるものでなければならないであろうか。それはまず、すべての既存の宗教の根本的な教えと、すべての思想の価値観を包容しうるものでなくてはならない。それはまた、唯物論や無神論を克服しうる価値観でなくてはならないし、科学をも包容し、科学を指導しうる価値観でなくてはならない。そのような内容をもつ価値観とは、絶対者である神の真の愛を中心とした絶対的価値観である。それがまさに未来社会に対備するために、今日、切に要求される新しい価値観である。

それでは、われわれが対備しなくてはならない未来社会は、具体的にどのような社会なのか考察してみよう。未来社会は本来の人間によって建設される社会であるが、本来の人間とは、神の心情、神の愛をもった人格の完成者のことである。ここで人格とは、心情を中心として知情意の機能が均衡的に発達した品格のことである。したがって未来社会は、神の心情を中心として、知情意の機能が調和的に発達した人間によって構成される社会である。ここに新しい価値とは、本来の知情意の機能に対応する価値のことである。

知情意の機能はそれぞれ真美善の価値を追求するが、それによって真実社会、芸術社会、倫理社会が実現される。ここで真実社会は真の価値を追求することによって実現される偽りのない真なる社会をいい、芸術社会は美の価値を追求することによって実現される美の社会をいい、倫理社会は善の価値を追求することによって実現される善の社会をいう。真実社会を実現するための理論として必要なのが教育論であり、芸術社会を実現するための理論として必要なのが芸術論であり、倫理社会を実現するための理論として必要なのが倫理論である。価値論は真美善の価値を総合的に扱う部門であって、これら三つの理論の総論となる。

未来社会はそのような真美善の価値が実現する社会となるだけでなく、科学の発達によって経済は高度の成長を成し遂げ、経済問題は完全に解決された豊かな社会が実現される。したがって、そのような社会に住む人々の生活は、価値を実現しながら価値を楽しむ生活になるのである。心情を中心として真美善の価値が実現した社会が、すなわち心情文化の社会であり、統一文化の社会である。

以上で未来社会に備えるために新しい価値観が必要であることについて説明した。ところが新しい価値観は未来社会に備えるために必要であるだけでなく、今日の現実世界の混乱を収拾するためにも必要である。すでに述べたように、今日の現実世界は様々な要因によって、価値観が総体的に崩壊しつつあるが、これを収拾するためには健全な価値観の再定立が切に要求されるのである。

新しい価値観は文化の統一のためにも必要とされる。今日の世界の混乱を究極的に収拾するためには、いろいろな伝統文化の統一が必要である。ところが様々な文化はそれぞれ一定の宗教または思想を土台としている。そしてそのような宗教や思想は一定の価値観をもっている。したがって文化の統一のためには、様々な価値観の統一、例えばキリスト教価値観、仏教価値観、儒教価値観などの統一が要求されるし、また東洋と西洋の文化的価値観の統一が必要である。したがって、ここにおいても、すべての価値観を包容しうる新しい価値観の提示が要求されるのである。