共生共栄共義主義 共栄主義

2020年7月6日
(二)共栄主義

共栄主義は、理想社会の政治的な側面を扱った概念である。これは特に、資本主義の政治理念である民主主義に対する代案としての側面から、未来社会の政治的特性を扱った概念である。周知のごとく、資本主義社会の民主主義は「自由民主主義」であるが、それは英国の清教徒革命、アメリカの独立戦争、フランス革命において、自由、平等、そして博愛などのスローガンをもって出発した政治理念である。

民主主義は「人民が主人となって政治を行う」という思想であり、理念である。それはアメリカの十六代大統領、リンカーン (A.Lincoln )の「人民の、人民による、人民のための政治」という有名なゲティスバーグの演説によく表れている。民主主義は本質的に、人民の自由と平等を実現するための理念である。民主主義が多数決原理と議会政治を主張する最終目的も、人民の自由と平等の実現にあったのである。自由と平等は表裏の関係にあって、自由なき平等はなく、平等なき自由もありえないのである。

それでは「人民」とは何であろうか。市民革命当時の人民は、絶対王朝の下で支配を受けていた被支配層を意味していた。しかし今日、人民とは、概して階級を超越した国民大衆の意味で使用されている。けれども今日、権力層がしばしば独裁に流れる傾向があるので、人民とは、権力層や富裕特権層を除いた「大多数の国民」の意味に解釈してよいのであろう。

ところで民主主義が実施されて、すでに二百年が過ぎたが、果たして人民の自由と平等は実現されたであろうか。それに対する答えは「否」というしかない。なぜならば、自由民主主義は資本主義を政治的に支えてきたのであるが、資本主義はその構造的矛盾によって、富の格差、富の遍在を招いて、大多数の国民(人民)に経済的な不平等と不自由をもたらしたからである。そして経済的な不平等、経済的な不自由は、そのまま政治的な不平等、政治的な不自由に連なっている事実を、われわれは何度も目撃してきたのである。

特に大多数の貧民層の自由と人権は、しばしば自由民主主義という名のもとに、踏みにじられる傾向が強かった。そのうえ主権は名目上、人民の主権であるだけで、実質的には、政党人たちが選挙という名前のもとに、莫大な資金を投入して勝ち取る彼らだけの利権に転落してしまった。そのため選挙戦とは、要するに政治的な利権の争奪戦にほかならないのである。したがって「人民の、人民による、人民のための政治」という神聖なる政治とはなりえず、「政党人の、政党人による、政党人のための政治」という風土が醸成されたのである。

自由民主主義の、このような欠陥のために、「自由民主主義は権力層や富裕層のためのブルジョア民主主義にすぎず、人民大衆のための民主主義ではない」と共産主義者たちは告発したのであった。そして第二次世界大戦以後、彼らは労働者、農民のための共産主義こそ真の人民民主主義であると主張してきたのである。それでは人民の真なる自由と平等と博愛を実現しうると思われた民主主義が、二百余年が過ぎた今日に至るまで、その目的を達成できない原因はどこにあるのであろうか。

それは市民革命によって、専制君主制が打倒されて出現した当時の民主主義が、基本的に個人の権利と自由と平等を主張する個人主義の内容をもって成立したからである。個人の個性と人格と価値を重要視するという点で、個人主義は尊重されてよい。しかし政教分離政策によって、個人精神の指導原理としてのキリスト教が機能しえなくなり、個人主義は利己主義に流れるようになった。それによって、民主主義は利己主義的な個人主義を基盤として成立したという結果になってしまったのである。

このような利己主義的な個人主義が経済人の精神を支配し、政治家の精神を支配したために、資本家たちは、絶えず利潤の極大化を追求するようになり、政治家たちは政権を利権視するようになった。今日、政治家たちは公明選挙の名のもとに、あたかも利権獲得のために投資するような気分で、莫大な選挙費用を投入している。そして資本家、企業家たちの執拗な利潤追求と、政治家たちのあくなき政権欲によって、今日の民主主義社会には、あらゆる不正腐敗や各種の犯罪が氾濫しているのである。

これは、民主主義には初めからその標語である自由・平等・博愛を完全には実現しえない限界性があったことを意味しているのである。すなわち、政教分離政策による民主主義において、個人主義は必然的に利己主義に流れざるをえないという限界性を見せたのである。しかし、自由民主主義がすべての面において失敗したのではなかった。自由民主主義は、宗教(信仰)の自由を保証するという役割を明らかに果たしたのである。すなわち自由民主主義国家において、春に様々の花が満開になるように、各種の宗教と信仰の花が満開となったのである。

ここで、神の摂理史的な観点から民主主義の出現の意義を考えてみよう。民主主義が宗教(信仰)の自由を保証したのは、神の摂理と関係があったからである。神の摂理から見るとき、民主主義はメシヤ王国の前段階において現れた政治理念である。ここでわれわれは、民主主義が絶対君主体制を打倒した市民革命によって立てられたという事実に留意する必要がある。もし当時の体制が絶対君主制ではなくて、神の真なる愛を実現するためのメシヤ王国であったならば、市民革命は起きなかったであろう。そして人類はメシヤ王国において、真なる自由と平等と博愛を満喫しながら、幸福な生活を楽しんだはずである。

「もし絶対君主制ではなくて、メシヤ王国であったならば」という前提は、単なる仮定ではない。神の摂理から見れば、実際、当時にメシヤ王国が立てられるようになっていたのである。そのことについてもう少し具体的に説明しよう。

西洋史によれば、八世紀末から九世紀の初めにかけて、フランク王国を大きく発展させて西ローマ帝国を復活させた国王がカール大帝である。神の復帰摂理から見れば、新約時代のカール大帝は旧約時代のイスラエル王国(統一王国)のサウル王に相当する君主である。アブラハムから八百年のころ、サウルはサムエル預言者によって頭に油を注がれたあと、イスラエル王国の最初の王となった。同様に、カール大帝は八00年ごろに、法王レオ三世によって戴冠されて、西ローマ帝国の皇帝になったのである。統一原理では、カール大帝のこの治世を旧約時代のイスラエル王国(統一王国)に対応する概念で、キリスト王国と呼んでいる。

旧約時代のイスラエル王国において、初臨のメシヤが降臨して世界を統一し、神の真なる愛を中心としてメシヤ王国を立てることが神の摂理であった。新約時代にはキリスト王国に再臨のメシヤが降臨して、神の真なる愛を中心としてメシヤ王国を立てるのが神の摂理であった。ところが旧約時代のイスラエル王国において、王たちは三代にわたって神のみ旨にかなうような摂理的な条件を立てられなかったために、神はイスラエル王国を南北朝に分立させたのであり、ついには北朝はサタン側の王国であるアッシリアに、南朝は新バビロニアに占領され、王たちは捕虜になるようにせしめられたのである。それにより、イスラエル王国を通じてメシヤ王国を建てようとされた神の摂理は失敗に終わってしまった。それと同様に、新約時代のキリスト王国の王たちも神のみ旨にかなうように摂理的な条件を立てられなかったので、神はキリスト王国を東西王朝に分立させ、十字軍戦争の受難と法王のアヴィニョン捕囚の受難まで与えるようになったのである。そしてキリスト王国の王たちが責任を果たさなかったために、サタン側の王国である絶対君主政体が形成されるようになった。

かくして上から、国王を通じてメシヤを迎えて、メシヤ王国を地上に立てようとされた神の摂理は、旧約時代と同様に挫折したのである。しかし、だからといって、神のメシヤ王国実現の摂理が放棄されたのでは決してなく、新しい方式によってメシヤを迎える摂理が開始されたのであった。それはまさしく下から、民意によってメシヤを迎える摂理であった。この摂理は旧約時代にも、新約時代にも行われたものである。

民意によってメシヤを迎えるためには、神の摂理を遮るサタン側の王国や君主制を崩壊させて、民意が自由に現れるような社会環境を造成しなければならなかった。そのために、神は個人の意志が尊重される民主主義思想を普遍化させたのであった。

旧約時代には、神はアベル側の異邦民族であるペルシアを立てて、イスラエル民族を捕虜にした新バビロニア王国を打倒させたのち、イスラエル民族を故郷に帰還させ、マラキ預言者をつかわしたのち、メシヤ降臨の準備期を迎えるよう摂理された。その一環として、イスラエル民族の王位を空位にしておいたのち、紀元前四世紀末からイスラエル民族をヘレニズム文化圏に属するようにされたのである。ヘレニズム文化圏は、個人の個性を尊重する民主主義思想を基盤とした文化圏であったので、イスラエル民族はこの文化圏の中で個人の意志を自由に表すことができたのであり、民意によってメシヤを迎えることが可能になったのである。統一原理では、このような社会を「民主主義型の社会」と表現している(『原理講論』四九二頁)。

神は、それと類似した摂理を新約時代にも行われた。すなわち神の摂理を妨害するサタン側の勢力を崩壊させる摂理を行われたのである。十六世紀の初めにマルティン・ルターを立てて、サタンによって世俗化したキリスト教(旧教)を改革する、いわゆる宗教改革運動を起こす一方、十六世紀末から十八世紀末にかけて、人間の理性を尊重しながら、旧時代の権威や特権および社会的な不自由や不平等に反対する啓蒙主義運動を、全ヨーロッパにわたって展開させたのである。この運動を土台として、ついには「自由・平等・博愛」をモットーとする市民革命(フランス革命)を起こさせて、サタン側の君主制である絶対君主政体を崩壊させたのである。そのようにして近代民主主義が成立したのであるが、先に述べたように、民主主義はどこまでも民意によって再臨のメシヤを迎えるために立てた政治理念にすぎないのであって、真なる自由・平等・博愛を実現しうる理念では決してなかったのである。

さらに旧時代の宗教において、人間の個性や自由や権利を無視するなど、あまりにも誤りが多かったために、民主主義政治は出発とともに政教分離政策を実施せざるをえなかった。そのような理由のために、民主主義は人間の精神が従わなければならない価値観の絶対基準(神)を喪失するようになったのであり、その結果、必然的に利己主義的な民主主義に転落したのであった。そして民主主義社会は、今日のような大混乱を引き起こすようになったのである。

すべての問題は、神の真なる真理と真なる愛によってのみ根本的に解決される。したがって、真なる真理と真なる愛をもってこられる再臨のメシヤを中心とする王国が建てられるとき、初めてすべての問題の根本的な解決が可能になるのである。

以上、神の摂理的観点から見た、今日の自由民主主義の限界性と、民意によって再臨のメシヤを自由に迎えることが可能となるように、信仰の自由を保証したという点で、民主主義が責任を果たしたということ、すなわち民主主義の功績について指摘した。

一言でいえば、共栄主義は共同政治に関する理論である。共同政治とは、万人が共に参加する政治をいう。「万人共同参加の政治」こそ、真の意味で民主主義の理念にかなう概念である。万人の共同参加とは、もちろん代議員選出を通じた政治への参加を意味する。ここで「代議員選出による政治参加」が共栄主義における共同政治であるとすれば、今日の民主主義政治と何ら異なるところがないではないか、という疑問が生じるかもしれない。けれども、そこには基本的な違いがある。そのことについて説明する。

共栄主義の共同政治では、まず第一に、代議員選挙の立候補者間の相互関係はライバル関係ではなく、真なる愛を中心として、神の代身者であるメシヤを人類の父母として侍って生活する家族的な兄弟姉妹の関係である。第二に、代議員選挙のとき、立候補者たちの出馬は自分の意志によるものではなく、多くの隣人(兄弟)たち、すなわち他意の推薦による出馬である。それは真なる愛を中心として兄弟姉妹の関係にある有能な人材は、お互いに譲り合うからである。第三に、選挙は莫大な費用と副作用を伴う投票方式ではない。初段階の簡略な投票方式に続いて行われる、厳粛なる祈りと儀式を伴った抽選方式でなされるのである。そのとき、当選した候補者も、当選しなかった候補者も、共に当落が神意によることを知って感謝し、全国民も神意に感謝しながら、その結果を喜んで心から受け入れるようになるのである。

このように共栄主義における、共同政治は全世界が一つに統一されたメシヤ王国の政治であるために、神の真なる愛を中心とした「共同参加の政治」である。また神の代身者であるメシヤを父母として侍り、万民がその父母の愛を受け継いだ兄弟姉妹の立場で共同政治に参加するために、そのような共同政治は「人民の、人民による、人民のための政治」でなくて、「人類の真の父母を中心とした、兄弟の、兄弟による、兄弟のための政治」であって、その政治は厳密にいって、民主主義政治ではなく、「天父を中心とした兄弟主義政治」なのである。

ところで、民主主義が実現しようとして今日まで実現できなかった真なる自由、平等、人権尊重、博愛などは、この「天父を中心とした兄弟主義政治」によって初めて完全に実現されるようになる。そういう意味において、共栄主義の共同政治を「兄弟主義的民主主義政治」であると表現することもできる。ここで特に指摘したいのは、兄弟主義それ自体は常識的な意味の同胞主義であるとしても、ここでいう兄弟主義は今日のような国境の中に閉じ込められた地域的な国家の国民が、互いに兄弟の関係を結ぶような同胞主義ではないということである。それは全世界が一つの国家に統一され、全人類が一つの中心である父母に侍り、その父母の子女として互いに兄弟姉妹の関係を結ぶ方式の同胞主義である。それが真なる意味の四海同胞主義である。

今日まで、四海同胞主義の理念があっても、その理念が実現を見なかった理由は、第一に、世界統一がなされていなかったからであり、第二に、人類の真なる父母が出現していなかったからである。その点においては、民主主義も同じである。今日まで、民主主義の理念が一〇〇パーセントは実現できなかったのは、すでに述べたように、いくつかの理由のほかに、民主主義理念自体は超民族的、超国家的であるにもかかわらず、現実は民族的、国家的特殊性の制約を受けていたからである。

そしてその点においては、メシヤ王国も同じである。先にメシヤ王国について何度か述べたが、メシヤ王国もまた一つの地域的な国家ではなくて、超民族的、超国家的なのである。メシヤの降臨は一つの地域的国家である選民国家においてなされるが、メシヤ王国の形成は世界統一がなされたのちに初めて可能になるのである。しかし共生共栄共義主義は、世界統一以前でも、指導者たちが努力さえすれば、神を真の父母として侍りながら、ある程度まで実施されると見るのである。そうすることによって、現在の各種の混乱をひとまず収拾することが可能なのである。現在の資本主義の次には共生共栄共義主義社会が来ざるをえないというのは、そのような理由のためである。

最後に、共栄主義における共同政治と三権分立の関係について説明する。われわれは民主主義政治が立憲政治であり、立憲政治は律法、司法、行政の三権分立を骨格とする政治であることを知っている。そして共栄主義の共同政治も、やはり代議員が政務に参加する政治であって、三権分立を認めるのはいうまでもない。

しかし共栄主義の場合における三権分立は、モンテスキューの主張のように、権力の乱用を避けるために権力を二分するという意味での三権分立ではなく、立法、司法、行政の業務の円満な調和のために、「三府の業務分担」という意味での三権分立である。そして、権力の概念も従来のものとは異なる。従来の権力の概念は、国民を強制的に服従させる物理的な力を意味したのであるが、共栄主義における権力は、真なる愛の権威をいうのであって、対象は主体の真なる愛に対して、心から感謝しながら、その主体の意志に自ら進んで従うのである。

あたかも人体のいろいろな器官が、人体を生かすという共同目的のもとに、様々な種類の生理的機能をそれぞれ分担して互いに有機的に協調しているように、三府も国家存立の三大機能(立法、司法、行政)をそれぞれ分担して、共同理念のもとに、有機的で調和ある協調体制を成すところに、三権分立の真なる意味があるのである。

それで統一原理には、このような協調関係にある立法府、司法府、行政府をそれぞれ人体の肺、心臓、胃腸に比喩している。あたかも各臓器に分布している末 梢神経が頭脳の命令に従って、少しの誤りもなく、緊密な協調をなして、人体の生理作用を円満になしているように、理想社会において、立法府、司法府、行政府も、真なる愛の主体である神のみ旨が一定の伝達機関を通じて伝達されて、円滑に協調するようになっているのである。

ここで特に明らかにしておくことは、神の創造において、地上天国の理想像は人体を見本として構想されたという事実である。したがって、理想世界の国家の構造は人体構造に似ているのである。先に立法府、司法府、行政府を肺、心臓、胃腸に比喩したが、実は肺、心臓、胃腸をモデルとして、三つの機関が立てられたのである。

人間の堕落によって、国家は本然のあり方を失い、非原理的国家になったが、理想国家の構造の骨格は、そのまま人体構造に似ているのである。そして、人体の臓器(肺、心臓、胃腸)とその機能が永遠不変であるように、立法、司法、行政の三府とその機能も、原理の世界では永遠不変である。ところで、理想世界の立法、司法、行政の內容は、非原理的な現行のものとは一致しない。非原理的な権力が物理的な強制力であるのに対して、原理的な権力は真なる愛の情的な力であるという点で、両者は違うのである(ただし、ここでは原理的な立法府、司法府、行政府の機能についての説明は省略する)。