8歴史論

2020年7月2日

第八章 歴史論

ここで扱う歴史論は、史実をそのまま記述するものではない。人類歴史はいかにして始まり、いかなる法則によって進んできて、またいかなる方向に向かって進んでいくのかなど、歴史解釈に対する見解を明らかにするものである。それは統一思想に基づいた歴史解釈をいうのであり、一つの歴史哲学である。ゆえにこの歴史論を統一歴史論または統一史観ともいう。

それでは歴史論が必要な理由は何であろうか。それは人類の未来像を確立することにより、歴史の正しい方向性を提示するためである。それによって現実問題を解決する方案が導かれるからである。言い換えれば、今日の複雑な世界の問題の根本的解決は、明確なるビジョンをもった確固たる歴史観なくしては不可能である。

今日まで多くの歴史観が学者たちによって立てられたが、共産主義の歴史観すなわち唯物史観ほど影響力のある歴史観はなかった。唯物史観は人類歴史を階級闘争の歴史であると規定する。そして資本主義社会は、ブルジョアジーとプロレタリアートの階級闘争、すなわち革命によって倒れて、必然的に共産主義社会が到来すると主張した。したがって、それなりの未来のビジョンを提示したのである。共産主義者たちにとって、唯物史観は革命を起こすための信念の原動力であった。したがって共産主義と自由主義との対決は歴史観と歴史観の対決であったといっても過言ではないのである。

しかるに自由主義世界には、唯物史観に対処しうるような既存の歴史観を見いだすことはできない。そのために自由主義世界は、その間、絶えず共産主義の攻勢と脅威に苦しめられるほかはなかった。ところがそのような唯物史観も結局、倒れてしまった。それはまさに文先生の統一歴史論のためであるといっても言いすぎではない。統一史観は新しい神観に基づいた史観であるが、今日までの数十年間、共産主義との理論的対決において唯物史観の虚構性を鋭く暴露してきたのである。そして歴史的な史実をもって、人類歴史が神の摂理により統一された創造理想世界を目指して進んできたことを実証的に解釈しているのである。