3本性論 神相的存在 陽性と陰性の調和体

2020年6月30日
(二)陽性と陰性の調和体

陽性と陰性は性相と形状の属性であるが、本性論でいう陽性と陰性とは陽性実体、陰性実体としての夫婦のことをいう。

夫婦はいかに生きるべきか、家庭はいかにあるべきかという問題は、古今東西を問わず重要な問題であった。動物も、植物も、鉱物も、みな陽陰の結合によって存在し繁殖している。万物がそうであるから、人間における陽陰の結合すなわち夫婦の結合も、単純な男女の肉体的な結合であると見やすい。だがそれは夫婦を生物学的な観点から見る立場である。そのような立場に立てば、今日の先進諸国のように、男女が簡単に結婚しては簡単に離婚するというようになり、結婚の神聖性や永遠性は失われやすいのである。しかしそれは本来の夫婦の姿ではない。

男と女はなぜ存在するのか、結婚は何のためにするのかという問題に対して、今まで真の解答がなかった。そのため一生、独身生活を貫くという人も少なくなかったのである。この問題に対して、統一思想は明 瞭な答えを与えている。

第一に、本然の夫婦はそれぞれ神の陽性と陰性の二性性相中の一性を代表する存在である。したがって夫婦の結合は、陽性・陰性をもつ神の顕現を意味するのである。夫婦が神を中心として横的に愛し合うとき、神の縦的な愛がそこに臨在するようになり、ここに愛の相乗作用による生命の創造がなされるようになるのである。

第二に、本然の夫婦の結合は神の創造過程の最後の段階であるため、それはまさに宇宙創造の完了を意味するのである。したがってアダム・エバが堕落しなければ、アダム・エバの完成とともに宇宙の創造は完了したはずであった。しかし、アダム・エバが完成しなかったために、宇宙創造は完了しなかった。だから、今日まで神は再創造の摂理をなされてきたのである。再創造とは、堕落した人間をして、個性を完成せしめ、さらに夫婦として完成せしめるということである。人間は万物の主管主として造られたが、男一人では、あるいは女一人では、主管主となることはできない。夫婦として完成して、初めて人間は万物の主管主となるのである。そしてその時、宇宙創造が完了するのである。

第三に、本然の夫婦はそれぞれ人類の半分を代表する存在である。したがって夫婦の結合は、人類の統一を意味するのである。すなわち夫婦においては、夫は全人類の男性を代表しており、妻は全人類の女性を代表しているのである。現在、世界の総人口は約六十億人といわれている。したがって、それぞれ三十億人を代表する価値をもっているのが夫であり、妻である。

第四に、本然の夫婦はそれぞれ家庭の半分を代表する存在であり、したがって夫婦の結合は家庭の完成を意味するのである。家庭において、夫はすべての男性を代表し、妻はすべての女性を代表する立場であるからである。

以上のような立場から見るとき、夫が妻を愛し、妻が夫を愛するということは、その家庭における神の顕現と宇宙創造の完了を意味し、人類の統一と家庭の完成を意味する。このように夫婦の結合は、実に神聖にして尊い結合なのである。

ところで夫婦の調和は家庭的四位基台の形成を通じてなされる。家庭的四位基台の形成とは、創造の時に人間に与えられた第二祝福の完成を意味するものであるが、それは神を中心として人格的に完成した夫と妻が相対基準を造成し、愛と美を授け受けることによってなされる。そのとき夫婦の一体化は、原相内の主体と対象の調和に似るようになる。すなわち原相の自同的四位基台に似るのである。そして夫婦の子女繁殖は神の人間創造に似ているが、それは原相の発展的四位基台に似ているのである。そのとき、夫婦はそれぞれ本心に従って生きながら、互いに調和を成すのである。

本心に従って生きるということは原相の内的四位基台に似ることであり、互いに調和を成すということは原相の外的四位基台に似ることである。夫婦がそれぞれ完全に原相の姿に似て人格者として成熟したのち、創造目的を中心として互いに愛を授け受ける授受作用を行うようになれば、神の愛がそこに臨在するようになる。家庭は夫婦の横的愛と神の縦的愛が合致するところであるからである。そのように神の愛を中心として完成した家庭が集まって社会を成し、さらに進んで国家、世界をこの地上に立てるようになれば、それがまさに地上天国であり、神の創造理想を完成した世界となるのである。

原相論において明らかにしたように、神の創造理想を完成した世界とは、本然の秩序を通じて実現される愛の世界をいう。ここで、秩序と愛に関して述べることにする。人間は宇宙の縮小体であるが、家庭も宇宙の縮小体である。そのとき、人間は構成要素から見た宇宙の縮小体であり、家庭は秩序から見た宇宙の縮小体なのである。

家庭が秩序から見た宇宙の縮小体であるということは、宇宙の縦的秩序と横的秩序に似て、家庭にも縮小された形態としての縦的秩序と横的秩序があるということを意味する。家庭における縦的秩序とは、祖父母→父母→子女→孫とつながる秩序のことをいうのであり、横的秩序とは夫婦間そして兄弟姉妹間の秩序をいう。愛はこのような秩序を通じて実現される。そして愛には縦的愛と横的愛があるのである。縦的愛とは、父母の子女に対する下向愛と、子女の父母に対する上向愛であり、横的愛とは、夫婦間の愛、子女相互間の愛などの水平愛である。

このような愛の基本形を土台として、縦的価値と横的価値の基本となる家庭倫理が成立する。縦的価値とは、父母の子女に対する愛である慈愛であり、子女の父母に対する愛である孝誠である。横的価値とは、夫婦間の愛である和愛であり、子女相互間の愛である友愛である。こうして倫理は、家庭を基盤とする家族構成員の相互間で守られなければならない行為の規範となるのである(これに関しては、倫理論において詳細に論ずる)。こうした家庭倫理を社会、企業、学校などに拡大したものが、それぞれ社会倫理、企業倫理、学校倫理であり、隣人愛、民族愛、怨 讐に対する愛、自然保護運動などは、みな家庭倫理を土台としたものである。

このような観点から、本性から見た人間観を一言で表現するとすれば、愛的人間となるのである。ところが堕落によって、人間は人格的に完成できなかった。そして未完成のアダムとエバは、本然の夫婦となることはできなかった。すなわち夫婦は神の愛を中心として一つになることができず、神を喪失してしまった。そして宇宙創造は未完了の状態のまま、今日まで続いてきたのである。

今日、家庭問題や社会問題が深刻になっているが、これらは夫婦の姿がみな本来的でないところにその原因がある。そのために家庭と社会が乱れ、国家と世界が混乱に陥っている。したがって夫婦が和愛によって調和を成して一つになるということは、まさに世界の統一と直結する必須不可欠の前提条件となるのである。したがって夫婦の和愛の問題は、社会問題や世界問題を解く鍵であるといえる。