2存在論

2020年6月30日

第二章 存在論

一般哲学でいう存在論のギリシア語の原語は Ontologia であり、それは onta(存在するもの)とlogos(論理)の合成語であって、存在論は存在に関する根本問題を研究する哲学の一つの部門をいうのである。しかし統一存在論は、統一原理を基本にして、すべての存在が神によって創造された被造物であると見る立場であり、被造物の属性(共通の属性)は何であり、被造物はいかに存在し、またそれはいかなる運動をしているか、ということを扱う部門である。

本存在論は、すべての被造物をその対象としている。したがって人間も被造物であるので、本存在論の対象であるのはもちろんである。しかし人間は万物の主管主であって、万物とはその格位が違うので、人間に関しては特に本性論においてさらに詳細に論ずることにする。したがって本存在論は、主として万物に関する理論であるということができる。

原相論は神に関する理論であるが、存在論は万物に関する説明を通じて原相論を裏づける理論である。つまり原相論は統一原理に基づいた演繹的な理論であるために、そこで説明された神の属性が、実際にどのように万物の中に現れているか、また現れているとすればどのように現れているか、ということを明らかにするのが本存在論なのである。そして、もし万物の中にそのような神の属性が普遍的に現れている事実が明らかにされれば、原相論の真理性がよりいっそう保証されるのである。言い換えれば、万物の属性を扱う存在論は無形の見えない神の属性を可視的に確認する理論であるということができる。

今日、自然科学は急速な発展を遂げたが、ほとんどの場合において、科学者たちは神のことを考えず、ただ客観的に自然界を観察しただけであった。しかし相似の法則によって万物が創造されたために、自然を観察した科学的事実が神の属性と対応するということが明らかにされれば、自然科学はむしろ原相論を裏づけるという論理が成立するようになる。実際、今日までの自然科学の成果が神に関する理論を裏づけるという事実が本存在論において証明されるであろう。

統一原理によれば、人間は神に似せて造られ(創世記一・二七)、万物は人間に似せて造られた。神は宇宙の創造に先立って、心の中でまず神に似せて人間の像(姿)を描いたのである。そして次に、その人間の像を標本として、それに似せて万物を一つ一つ創造されたのである。これを「相似の創造」という。そして、このような創造の法則を「相似の法則」という。

ところが万物は、今も昔も本来の姿をそのままもっているが、人間は堕落によって本来の姿を失ってしまったために、人間によって構成された社会も本来の姿を失い、非正常的な状態におかれるようになった。したがって現実の人間と社会そのままでは「存在の問題」と「関係の問題」の解決の道を見いだすことはできない。そこで聖人や哲人たちは、空の星の運行や、自然万物の消 長、変化や、四季の変遷の中で悟った理論でもって、彼らの教えを打ち立てたのである。しかし彼らは、なぜ人間と社会を救済する真理が自然界を通して得られるのかを知ることはできず、ただ直感的にそのような真理を悟っただけであった。

統一原理によれば、万物は本然の人間の姿を標本として造られたものであるから、自然界を通じて本来の人間と社会の姿を知ることができるのである。原相論において、神の属性を正しく理解することが、人間や社会の諸問題を解決することのできる鍵となることを説明した。しかるに創造は相似の創造であるために、神の属性だけでなく、万物の属性を正しく理解すれば、これもまた現実問題の解決の鍵となるのはもちろんである。したがって、存在論も現実問題を解決するまた一つの基準となる思想部門なのである。

本存在論では、万物一つ一つの個体を存在者という。したがって存在論は存在者に関する説明であり理論であるということができる。そして存在者に関する説明を「個性真理体」と「連体」という二項目に分けて行うことにする。

ここで個性真理体とは、神の属性、すなわち原相の内容にそのまま似た個体のことをいうのであり、一個体を他の個体との関係を考えずに、独立的に扱う時の被造物をいう。しかし実際は、すべての個体は相互間に密接な関係を結んで存在する。そこで一個体を他の個体との関係から見るとき、その個体を連体という。したがって連体は、相互関連性をもつ個性真理体をいうのである。

被造物(存在者)は神に似せて造られたから、すべての被造物の姿は神相に似ている。しかるに神相には普遍相と個別相があるので、すべての個体は原相に似て、普遍相と個別相をもっている。ここで普遍相とは性相と形状および陽性と陰性をいい、個別相とは各個体がもっている特性をいう。まず個性真理体の普遍相、すなわち性相と形状、陽性と陰性について説明する。