7芸術論 芸術と倫理

八 芸術と倫理

最近になって芸術の低俗化がしばしば指摘されている。それは芸術と倫理の関係が問題になっていることを意味する。芸術は万物主管の一つの形式であるが、本来、人間は蘇生、長成、完成の三段階の成長過程を経て完成したのちに万物を主管するようになっている。完成するとは、愛の完成、人格の完成を意味する。したがって人間はまず愛の人間、すなわち倫理人となったのちに、万物主管を行うようになっていたのである。これは芸術家は同時に倫理人でなくてはならないことを意味している。

愛と美の関係から倫理と芸術の関係を導き出すことができる。愛は主体が対象に与える情的な力であり、美は主体が対象から受ける情的な刺激である。したがって愛と美は表裏一体の関係にあるのである。だから愛を扱う倫理と美を扱う芸術は、不可分の密接な関係にあることが分かる。このような観点から見るとき、真の美は真の愛に基づいて成立するという結論になる。

ところが今日まで、芸術家たちはそのようになっていなかった。それは、芸術家たちが倫理性を備えなければならないという確固たる哲学的根拠がなかったからである。それで多くの芸術家たち、特に作家たちが愛をテーマにして作品を造ってきたが、ほとんどの場合、その愛は堕落した世界の非原理的な愛であった。

芸術至上主義者として知られているオスカー・ワイルド(O. Wilde, 1854-1900 )は、耽美主義を唱えたが、彼は同性愛によって投獄され、失意と窮乏のうちに没した。またロマン主義の詩人バイロン(G.G. Byron, 1788-1824 )も放らつな女性遍歴を続けながら創作を行い、さすらいの生活を送った。彼らの作品は、彼らの堕落した愛を表現したもの、あるいはその苦悩を表現したものにほかならなかった。

一方で、真の愛を表現した作家もいた。トルストイ(L.N. Tolstoi, 1828-1910 )がそうである。彼はロシアの堕落した上流社会の生活を暴露しながら、真の愛を表現したのである。すなわち彼の作風は、一方では現実を描写するリアリズムでありながら、他方では理想を追求する理想主義となっている。しかしトルストイのように、真の愛を表現した作品を残したり、真の愛を追求しながら創作活動を行った芸術家は、あまり多くはなかったのである。