4価値論 価値観の歴史的変遷 新しい価値観の出現の必要性

2021年8月26日
(五)新しい価値観の出現の必要性

このように歴史上に多くの価値観が現れたが、それは絶対的な価値を樹立しようとした試みが、みな崩壊してきた歴史であったと見ることができる。

古代ギリシアにおいて、ソクラテスやプラトンが真の知を追求し、絶対的な価値を樹立しようとした。しかしポリス社会の崩壊とともに、ギリシア哲学の価値観も崩壊してしまった。次にキリスト教が神の愛(アガペー)を中心として絶対的な価値を樹立しようとした。キリスト教の価値観は中世社会を支配したが、中世社会の崩壊とともに、次第に力を失ってしまった。

近代に至り、デカルトやカントはギリシア哲学と同様に、理性を中心とした価値観を樹立した。しかし価値観の根拠となる神の把握が曖昧であり、その価値観は絶対的なものとはなりえなかった。一方、パスカルやキルケゴールは真なるキリスト教の価値観を復興しようとしたが、確固たる価値観を樹立するには至らなかった。

新カント派は価値の問題を哲学上の主要な問題として扱ったが、価値を扱う哲学と事実を扱う自然科学を完全に分離してしまった。その結果、今日、多くの問題が生じている。科学者たちが価値を度外視して事実のみを研究した結果、人類を大量に殺戮する兵器の開発、自然環境の破壊、公害問題などを招くに至ったからである。

功利主義やプラグマティズムは物質的な価値観であり、完全に相対的な価値観となった。分析哲学は価値不在の哲学であった。そしてニーチェの哲学や共産主義は伝統的な価値観に対する反価値の哲学であったということができる。

ギリシア哲学やキリスト教を基盤とした伝統的な価値観は、今日では、それ以上、効力のないものと見られるようになった。伝統的な価値観は脆弱化し、自然科学から分離され、ついには哲学の領域からも排除されるに至ったのである。そして今日、社会混乱は極に達しているのである。ここに伝統的な価値を蘇生せしめながら、絶対的価値を樹立することのできる新しい価値観の出現が切に要請されている。新しい価値観は唯物論を克服し、正しい価値観でもって科学を導くものでなくてはならない。価値と事実は性相と形状の関係にあるのであり、事物において性相と形状が統一されているように、価値と事実も本来一つになっているからである。そのような時代的要請に答えようとして現れたのが本価値論なのである。