5教育論 心情教育

(一) 心情教育

個体完成のための教育

神の完全性に似るようにする教育が心情教育である。神の完全性に似るとは、性相と形状の統一性に似ることであり、それは生心と肉心が主体と対象の関係において授受作用を行って、一つになった状態をいう。神において、性相と形状は心情を中心にして授受作用を行って、統一をなしている。したがって生心と肉心が一つになるためには、心情が生心と肉心の授受作用の中心にならなくてはならない。心情が生心と肉心の中心になるためには、神の心情を体 恤して、個人の心情が神の心情と一致しなければならない。個人の心情が神の心情と一致するようにする教育を心情教育という。ゆえに心情教育が個体完成のための教育となるのである。

心情教育とは、言い換えれば、神が人間を愛するように、子女を万民や万物を愛しうるような人間に育てる教育である。そのような人間に育てるためには、子女が神の心情を体恤するようにさせなくてはならない。それでは、子女はいかにして神の心情を体恤するようになるのであろうか。そのためにはまず神の心情を理解させなければならない。

神の心情の表現形態

神の心情は創造と復帰の摂理を通じて三つの形態に表現される。すなわち希望の心情、悲しみの心情、苦痛の心情である。

① 希望の心情

希望の心情とは、宇宙創造における神の心情であって、無限の愛を注ぎうる最愛の最初の子女、アダムとエバを得る期待と希望に満ちた喜びの感情をいう。その希望の心情が達成されたとき、神はいうことのできない満足に満ちた喜びを感じるのであった。実際にアダムとエバが生まれたとき、神の喜びは表現することのできない満足に満ちた喜びであったのである。

最近の物理学によれば、約百五十億年前に宇宙は生成し始めたのであった。これは統一思想から見るとき、約百五十億年前に、宇宙が創造され始めたということである。神がそのように長い時間をかけて、宇宙を創造された理由は何であったのだろうか。それは最愛なる子女、アダムとエバを創造されるためであった。その子女を得る一時を望みながら、神はいかなる苦労をもいとわず、そのような長い期間をかけながら宇宙を創造されたのである。希望に満ちた神は、宇宙創造の過程がいかに長く、困難であろうとも、それが長いとか、苦しいとは感じなかったのである。

そのような事実をわれわれは経験を通じて知ることができる。すなわち、喜ばしい結果を期待しながら仕事をする時には、いくら苦しさが予想されても実際にぶつかって見ると、それほど苦しさを感じないだけでなく、その期間が早く過ぎていくのである。それは喜びが近づいているという希望があるからである。喜びの結果に対する神の期待は、われわれ人間が経験するものより、はるかに大きいものであった。そして実際に、アダムとエバが生まれたとき、神の喜びはたとえようもなく大きく、深いものであった。

② 悲しみの心情

悲しみの心情とは、アダムとエバが堕落し、死亡圏内(サタンの支配下)に落ちた時の神の心情をいう。子女を失って悲しむ父母のような神の感情をいうのである。教会の初創期に、文先生はアダムとエバの堕落に及ぶと、その時の神の悲しい心情を紹介しながら、いたく痛哭されたのであった。

アダムとエバが堕落した直後から復帰摂理が始まったのであるが、そのとき神は、未来にみ旨が実現される、その喜びと希望の世界を見つめながら摂理を進めてこられたのである。ところが堕落した人々は、自分たちはそのような神の摂理にはかかわりないといって、退廃と暴力をこととしてきたのであり、神はそのような光景を見つめながら、その度に嘆き悲しまれたのである。そのような歴史を摂理してこられた神は、悲しみの神であると同時に恨の神であった。創造の時の期待と希望があまりにも大きかったために、堕落によってもたらされた神の失望の悲しみは、それだけに、さらに大きかったのである。

この世においても、愛する子供が死ぬとき、父母は、そしてとりわけ母は非常に悲しむ。たとえ子供の病気が重くて、不治の病であると宣告されても、そしてついに子供の息が絶えても、悲しみのために、どうしていいか分からないというような母が少なくないのである。アダムとエバが堕落した時の神の悲しい心情と、監獄のようなサタンの世界において苦労するアダムとエバとその後孫たちの姿を見つめておられる神の悲しみの心情は、子供を失った、この世の父母の悲しみとは比較することができないほど大きなものであった。歴史が始まって以来、神のように悲しんだ人間はかつて、この世にいなかったというのが、文先生が語られた神の心情の一つの姿であった。

③ 苦痛の心情

苦痛の心情とは、復帰摂理を進める過程において、摂理歴史の中心人物たちがサタンとその手先たちから迫害され、苦しんでいるのを見つめる時の神のつらい感情のことをいう。神は堕落した人間を捨てないで、再び生かすために予言者や聖賢たちを送られたにもかかわらず、人々は彼らの教えに従わないで、むしろ彼らを迫害し、時には虐殺するまでに及んだのであるが、そのような光景を見られるたびごとに、神の胸は釘が打ち込まれ、槍で突かれるように痛んだのである。

彼らは堕落世界の人間を何としても救おうとして神が送られた聖賢、義人たちであった。したがって、彼らが受ける蔑視、嘲 笑、迫害、賤しめなどは、まさに神自身に対して与えられたものとして感じられたのである。そのように復帰摂理路程における神のもう一つの心情は苦痛の心情であったのである。

神の心情の理解

心情教育のためには、このような神の三つの心情を被教育者に理解させなければならない。特に復帰路程における神の心情を教えることが必要である。そこで参考として、アダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭、モーセ路程、イエス路程など、復帰路程に現れた神の心情を紹介することにする。以下は文先生が紹介された神の心情に関する内容である。

① アダムの家庭における神の心情

希望の中でアダムとエバを創造された神は限りない希望と喜びでいっぱいであったが、アダムとエバが堕落したので限りなく悲しまれた。そこでアダムの家庭を救うために、アダムとエバの子供であるカインとアベルに献祭をさせたのであるが、そのとき神は彼らが献祭に成功するだろうという大きな希望をもって臨まれたのである。

神は全知全能であるからアダムとエバや、カインとアベルが失敗するということは、初めから分かっていたのではなかろうか。そうであるならば、神が嘆き悲しむというようなことがありえるだろうか。そのように考える人がいるかもしれない。しかし、そうではない。

神はたとえ人間が堕落することもありうる可能性を知っていたとしても、神は心情の神であり、希望の神であるために、堕落しないことを願う心が堕落の可能性を予知する心に対して、比較できないくらい強かったのである。

献祭においても同じである。献祭にかけた神の期待は大変大きく、希望は強かったために、献祭の失敗の可能性に対する予知は完全に忘れてしまっていたのと同じであった。ここに心情と理性の違いがあるのである。心情の衝動力は理性を圧倒するほど強力なのである。

そのようにアダムとエバの時も、カインとアベルの時も、神は成功のみを願う、期待と希望の神であった。ところがアダムとエバも、カインとアベルも失敗してしまった。その悲しみは例えようもなく大きかった。ここに指摘することは、神はその悲しみを外に表されなかったという事実である。それはそうした場面ごとに、サタンが共にいて注視していたからである。もし神が悲しみを表したとしたら、悲しみでぬれたその姿はサタンにとって、威信も権威もなく、神らしくない、みすぼらしい姿として映るだけだからである。それゆえ神はただ黙して、顔を伏せて、わき上がる悲しみを抑えながら、悲壮な面持ちでその場を立ち去られたのである。これが、草創期に文先生が明らかにされたアダム家庭における神の心情である。

② ノア家庭における神の心情

アダムの家庭を離れた神は、千六百年という長い間、荒野の道を歩きながら、地上の協力者を探してさまよわれた。その間、人間はみな神に背を向けるばかりで、誰も神を迎える者がいなかった。したがって地上には、神が宿ることのできる一軒の家もなければ、立つことのできる一寸の土地もなく、相対することのできる一人の人間もいなかった。文字どおり天涯孤独な哀れな身の上となって、寂しい道を歩まれたのである。そういう中で、ついに神は一人の協力者、ノアに出会ったのである。その時の神の喜びは例えようもなかった。しかし神は摂理的な事情のために、愛するノアに対して厳しい命令を与えなければならなかった。それが、まさに方舟を造れという命令であった。神の命令を受けたノアは、人々からあらゆる嘲 笑と蔑視を受けながら、あらゆる精誠を尽くして、百二十年間、方舟を造ったのである。

ノアは神の前に立てられた僕であり、義人であっただけで、神の子ではなかった。しかし、たとえ僕であっても、神はそのようなノアに出会ったことを、それほどまで喜び、神自ら、僕の立場に下りてノアと共に苦労の道を歩まれたのであった。

ところが洪水審判を経たあとに、ノアの子ハムが責任分担を果たさなかったために、洪水審判で生き残ったただ一つの家庭であるノアの家庭にサタンが侵入する結果となってしまった。そのとき神は胸が張り裂けるような痛みと悲しみを感じながら、再び悄 然としてノアの家庭を立ち去られたのであった。

③ アブラハム家庭における神の心情

その後、四百年を経て神はアブラハムを探し立てた。アブラハムの路程において一番深刻だったのは、アブラハムが百歳の時に得た、ひとり子イサクを供え物として捧げる時であった。鳩と羊と雌牛を捧げる象徴献祭に失敗したアブラハムに対して、神は息子のイサクを供え物として捧げよと命令された。そのとき、人倫に従って子を生かすべきか、天命に従って子を捧げるべきか、人倫か天倫か、アブラハムは苦しんだのである。イサクを捧げる代わりに、自分自身を供え物にして、イサクを生かしたいというのがアブラハムの心情であった。けれども彼は結局、神の命令に従ってイサクを供え物として捧げようとしたのである。人倫を断ち切り、天倫に従うことを決意したのである。モリヤ山に向かって行く三日間の期間は、アブラハムにとっては、天倫か、人倫か、いずれかを選ばなくてはならない苦悩の時であった。そのとき神は遠くからただ眺めていたのではなかった。「子を捧げよ」という厳しい命令を発してからは、アブラハムの苦しむ姿を見ながら神はアブラハムと共に、否それ以上に苦しまれたのである。

アブラハムはモリヤ山で最愛のわが子イサクを祭物として捧げようと、刀を取って殺そうとした時、神は慌ててアブラハムがイサクを殺すのをやめさせ、「あなたが神を恐れる者であることを今知った」(創世記二二・一二)といわれた。

そのとき、アブラハムの神のみ旨に対する心情と、神に対する絶対的な信仰と従順と忠誠は、すでに彼をしてイサクを殺したという立場に立たせたのである。したがってイサクを殺さなくても殺したのと同じ条件が成立したのである。それで神はアブラハムにイサクを殺すのをやめさせ、その代わりに雄羊を燔祭として捧げさせた。「あなたが神を恐れる者であることを今知った」というみ言の中には、象徴献祭に失敗したアブラハムに対する神の悔しさと、イサク献祭において見られたアブラハムの忠誠に対する神の喜びが、共に含まれていたのである。

④ モーセの路程における神の心情

エジプトの王子として育てられたモーセは、同胞であるイスラエル民族の受けている苦痛の現場を目撃したあと、神のみ旨に従って彼らをカナンの地へ復帰させようとして、千辛万苦ののちに、彼らを荒野に導いたのであった。しかしイスラエル民族は困難にぶつかるたびに指導者であるモーセに反逆した。モーセがシナイ山で四十日間の断食を行ったのち、二枚の石板を受けて山から降りて見ると、イスラエル民族は金の子牛を造って拝んでいた。モーセは、そのような神を冒する不信の行為を見て激しく怒り、石板を投げつけて壊してしまったのである。そのとき神は「わたしはこの民を見た。これはかたくなな民である。それで、私をとめるな。わたしの怒りは彼らにむかって燃え、彼らを滅ぼしつくすであろう。しかし、わたしはあなたを大いなる国民とするであろう」(出エジプト記三二・九—一〇)といわれた。

そのとき、モーセの心情はいかなるものであったのだろうか。イスラエル民族の不信を叱責して、「この民族を滅ぼしつくそう」という神の怒りに直面して、瞬間的に彼の民族愛、愛国の心情がほとばしったのである。そして彼はいかなる困難があろうとも、この民族を生かしたいと思い、できれば彼らとともにカナンの地に入ろうとしたのである。そこで彼は神にすがりついて、「どうかあなたの激しい怒りをやめ、あなたの民に下そうとされるこの災を思い直し……」(出エジプト記三二・一二)といいながら、民族を救おうと哀願したのである。神はモーセのそのような民族愛の訴えの祈りを受け入れて、ついにイスラエルを滅ぼすことを思いとどまられたのであった。

ところが四十年間、荒野を流浪したあと、カデシ・バルネアに到着した時、イスラエル民族は「ここは食べるものもない」と再びモーセを恨んだのであった。その時、モーセは不信するイスラエル民族に対する怒りから、一度打つべき岩を二度打ってしまった。これは神のみ旨に反することであった。そしてその後、神はモーセをピスガの頂きに呼んで、イスラエル民族が入って行くカナンの地を見せながら、「あなたはカナンの地に入ることはできない」(申命記三二・五二)と告げられたのであった。八十歳の老いた体を駆って、四十日間の断食を二回も行ったモーセ、不信の民族を抱えて四十年間もシンの荒野で苦労をしてきたモーセであった。事実上、出エジプトの主役であったモーセをカナンの地へ導き入れたい神であったが、サタンの讒訴のために、やむを得ず目前にあるその地を見せながら彼を見捨てるしかなかった。そこに神の深い悲しみと痛みと切なさがあったのである。

⑤ イエスの路程における神の心情

旧約聖書に予言されていたように(イザヤ書九・六)、イエスは地上にメシヤとして来られた。全地がもろ手を挙げて歓迎しなければならない救い主であったにもかかわらず、彼は幼い時から排斥された。家族がイエスを追い出し、ユダヤ教がイエスを不信し、結局、イスラエル民族がイエスを追い出したのである。どこにも行くところがないイエスであった。

イエスは三年間の公生涯路程を含めて三十三年間、寂しい孤独な生涯を送られた。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(ルカ九・五八)といわれ、その孤独な心情を吐露された。そしてエルサレムの城を眺めて涙を流しながら、「城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである」(ルカ一九・四四)といって、イスラエル民族を叱責されたのである。

ある時には、ガリラヤの浜辺をさまよいながら、選民ではないサマリヤの女に話しかけたりして寂しさを粉らせたり(ヨハネ四・七—二六)、ユダヤ人の指導者たちより取税人や遊女たちが先に天国に入るであろうといって(マタイ二一・三一)、救い主である自分を追いやる教団に対して寂しさを告白されたのであった。そのとき、神もイエスと共に、孤独な道を歩まれたのであった。

そしてついに十字架にかけられた、神のひとり子イエスの悲惨な姿を見られる神の心情は、いかなるものであったのだろうか。あまりにも悲惨な姿を見るに忍びず、そして十字架からイエスを下ろすことのできない事情を嘆きながら、神は顔をそむけられた。イエスの十字架を見ておられる神の苦しみは、イエスの苦しみ以上であったのである。

神の心情の紹介

以上はすべて草創期に文先生が、説教の度に泣きながら紹介された内容である。すなわち、アダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエスにおける神の心情であった。そればかりでなく、その他の宗教や民族における聖賢、義人たちの受難の路程の背後にも、彼らを導いた神の心情があった。心情教育において、このような神の心情を父母や教師が子女や生徒に知らせなくてはならない。直接話して聞かせるだけでなく、テレビ、ラジオ、映画、ビデオや、小説、演劇、絵画などの作品を通じて教えることができる。

実践を通じた心情教育

神の心情を言葉で教えるだけでなく、愛の実践を通じて直接、見せることも必要である。そのためには、まず家庭において父母が子供を真剣に愛さなければならない。食べさせ、着せ、住まわせる、礼節を教えることなど、子供を育てるのに常に真心をもって温かく愛さなければならない。それが父母が子供に与える真の愛である。このような愛を父母が子供に与え続けたら、子供たちは父母を心から尊敬し、親孝行をするのはもちろんのこと、子供たちも互いに愛し合うようになる。神の心情が父母の真の愛の実践を通して子供たちに伝えられるからである。

学校教育の場合も同様である。教師は言葉や行動の実践を通じて、神の真の愛を見せなければならない。科目ごとに真心を尽くして教えるのはもちろん、生徒一人一人に対して自分の子供のように、父母の心情をもって真心を尽くして導かなければならない。学校教育は家庭教育の延長であるからである。

教師の日常の言動に神の愛が込められなければならない。先生の公私の生活における一言一言、行動の一つ一つが生徒たちにとって、みな学ぶ教材となり、人格形成の素材となるからである。そのような愛がみなぎる学校教育を受けると、生徒たちは深く感動し先生を尊敬し、従うようになる。そして、そのような先生に似た真の愛の実践者になろうとするのである。以上が、家庭と学校における実践を通じた心情教育である。