5教育論 主管教育

(三) 主管教育(知識教育、技術教育、体育)

主管性完成のための教育

主管教育は主管性完成のための教育である。主管性完成のためには、まず主管の対象に対する情報、すなわち知識を習得しなければならない。そのために、まず知識教育(知育)が必要である。次に、対象を主管するのに必要な創造性を開発するための技術を習得する教育も必要である。そのような教育が技術教育(技育)である。そして主管をよくするには、主管の主体である人間の体力を増進させなければならない。そのための教育が体育である。以上の知育、技育、体育を合わせて主管教育という。

知識教育において、主管に必要な知識を学ぶのであるが、それは主管の対象の領域によって、自然科学をはじめ、政治、経済、社会、文化など、広範囲の分野にわたっている。それらはみな、万物主管の概念に含まれるのである。技術教育において、習得する技術は万物主管の直接的な手法として主管教育の中心となるのであり、体育における体位の向上と体力の増進も、万物主管に肝要なのはもちろんである。そして技術教育や体育にも、さらに細分された専門分野がある。芸術教育すなわち芸能教育も、一種の技術教育と見なすことができよう。

要するに、主管教育は、創造性を発揮するための手段を学ぶものである。創造性は天賦のもので、人間には誰でも先天的な可能性として備わっているのであるが、これを現実的に発揮するためには主管教育が必要なのである。

創造性の開発と二段構造の形成

創造性を開発するとは、要するに神の創造の二段構造に倣って内的四位基台形成の能力を増大させ、外的四位基台形成の熟練度を高めることを意味する。

内的四位基台形成の能力とは、ロゴスの形成の能力、すなわち構想の能力をいう。そのためには知識教育を通じて知識を多く獲得して、内的形状(観念、概念など)の内容を質的、量的に高めなければならない。得られた知識(情報)が多ければ多いほど構想は豊富になる。ロゴスを形成するとは、いわゆるアイデアを開発することであり、産業における技術革新(イノベーション)も、絶え間ないロゴス形成の反復によってなされるのである。

次に、外的四位基台形成の能力を養うとは、一定の構想に従い、道具や材料を用いて、その構想を実体化する能力を高めること、すなわち外的授受作用の熟練度を高めることをいう。そのためには技術教育が必要となる。また身体的条件が必要であることはいうまでもない。したがって、体育による体力の増進も必要である。

普遍教育を基盤とした主管教育

主管教育は心情教育および規範教育を基盤として、それらと並行して行われなければならない。知識教育や技術教育や体育は、心情(愛)と規範に基づいて初めて健全なものとなり、創造性が十分に発揮されるようになるからである。

心情教育と規範教育は、全人類が共通に受けなければならない教育であるから普遍教育という。それに対して主管教育は、個人の資質によって学ぶ領域が異なるから、ある人は自然科学、ある人は文学、またある人は経済学を専攻するというように、原則的に個別教育となる。

ここに普遍教育と個別教育は、性相と形状の関係にあるといえよう。心情教育と規範教育は精神的な教育、すなわち心を対象とする教育であり、主管教育は万物を主管する教育だからである。したがって普遍教育(心情教育、規範教育)と個別教育(主管教育)は主体と対象の関係において、並行して行われなくてはならない。それが均衝教育( balanced education )である(図5—2)。

ギリシア時代や中世、近世には、たとえ完全なものではなかったにしても、愛の教育があり、倫理・道徳の教育があった。しかし今日では、それらがほとんど無視されるようになって、ほとんどの場合、知識偏重、技術偏重のいわゆる不均衡教育が行われるようになった。その結果、人間性の健全な成長が妨げられているのである。そこで、ここに新しい教育論が現れて、新しい次元において、真の愛の教育、倫理・道徳教育を行わなければならない。そしてその基盤の上で知識教育と技術教育が行われるべきである。そのような均衡教育が実施されるとき、初めて科学技術は善なる方向に向かっていくようになる。そうすれば公害問題や自然破壊などの問題も自然に解決していくであろう。また教師たちも、そのような教育を通じて教師としての権威を取り戻すことができるようになるのである。

ここで付記すべきことは、教育の原点は家庭教育にあるということである。家庭教育の延長、拡大、発展したものが学校教育である。したがって、家庭教育と学校教育が一体とならなくてはならない。そうでなければ、普遍教育としての心情教育と規範教育はそのままでは成立しにくく、したがって教育の統一性は期待されにくいのである。