7芸術論 鑑賞の要件

六 鑑賞の要件

芸術作品の鑑賞も授受作用の一形態であって、そこにも主体(鑑賞者)と対象(作品)がそれぞれ備えなくてはならない要件がある。まず主体が備えなくてはならない要件について説明する。

主体の要件

まず性相的要件として、鑑賞者は作品に対して積極的な関心をもつことが必要である。その積極的な関心に基づいて、美を享受(enjoyment)しようとする基本姿勢もって、作品を観照(intuition)または静観(contemplation)しなければならない。すなわち雑念を払い、清い心境になって作品を見つめなければならない。そのためには生心と肉心が調和をもつこと、すなわち生心と肉心が心情を中心として主体と対象の関係をもつことが必要となる。生心と肉心が主体と対象の関係をもつとは、真善美の価値の追求を第一次的に、物質的な価値の追求を第二次的にすることを意味する。

次に、鑑賞者は一定の教養、趣味、思想、個性などを備えていなくてはならない。そして作品を造った作者の性相面、すなわちモチーフ(目的)、主題、構想や作者の思想、時代的・社会的環境などを理解することが必要である。作品を理解するとは、鑑賞者が自己の性相を作品の性相に合わせるということである。そうすることによって、鑑賞者は作品との相似性を高めることができるからである。

例えば、ミレーの作品を深く鑑賞しようとするならば、当時の社会的環境を理解することも必要である。一八四八年の二月革命の当時、フランスは社会主義運動の雰囲気の中に包まれていたが、ミレーはそれを嫌っていたといわれる。そして彼は自然と共に生きる農民の純朴な姿にいたく心を引かれて、農民の生活をありのままに描こうとしたのである(12)。そのようなミレーの心境を知れば、彼の絵に対して美が、いっそう深く感じられるのである。

さらに鑑賞者は作品との相似性をより高めるために、鑑賞しながら主観作用(subject effect)による付加創造を並行する。主観作用とは、鑑賞者が自己の主観的な要素を対象(作品)に付加し、作家が作った価値(要素)に新しい価値(要素)を主観的に加えて、その合わさった価値を対象価値として享受することをいう。主観作用はリップスの感情移入(Einfühlung, empathy)に相当するものである(13)。例えば演劇とか映画において、俳優は演技をしながら、ある場合には泣くふりをする。しかしそのとき、観客は俳優が本当に悲しんでいると思って、一緒に泣くことがある。観客が自分の感情を俳優に投影して主観的に対象を判断するからである。これは感情移入、つまり主観作用の一例である。主観作用によって鑑賞者は作品とより強く一体化し、いっそう深い喜びを得るのである。

それから鑑賞者は観照によって発見した、いろいろな物理的要素の調和を総合し、その全体的、統一的調和と作品の中にある作家の性相(構想)を結びつける。すなわち作品における性相と形状の調和を見いだすのである。

最後に、主体(鑑賞者)の形状的要件、すなわち身体的条件について述べる。鑑賞者は健全な視聴覚の感覚器官、神経、大脳などをもたなくてはならない。人間は性相と形状の統一体であるから、性相的な美の鑑賞に際しても健全な身体的条件が必要となるのである。

対象の要件

次は対象の要件について説明する。対象(作品)がもつべき要件は、まず美の要素すなわち物理的諸要素(構成要素)が創造目的を中心として調和をなしているということである。それから作品の性相(モチーフ、目的、主題、構想)と形状(物理的諸要素)が調和していなければならないし、陽性と陰性も調和していなければならない。

鑑賞に際しては、作品は鑑賞者の前におかれた完成品であるから、作品のもっている条件を鑑賞者が勝手に変更することはできない。しかしながら先に述べたように、鑑賞者は主観作用によって、作品との間の相似性を高めることができるのである。また鑑賞により適した雰囲気をつくるために、作品の展示において、位置、背景、照明などの環境を適切に整えることも重要である。

美の判断

次は、美の判断について述べる。「価値は主体と対象の相対的関係(授受作用の関係)から決定される」という原理により、以上のような鑑賞の条件を備えた主体(鑑賞者)と対象(作品)との授受作用によって美が判断(決定)される。つまり鑑賞者の美に対する追求欲が作品からくる情的刺激によって満たされることによって、美が判断され、決定されるのである。作品からくる情的刺激とは、作品の中の美の要素が主体の情的機能を刺激することをいう。そのように美そのものが客観的にあるのではなくて、作品の中にある美の要素が鑑賞者の情的機能を刺激して、鑑賞者によって美しいと判断されて、初めて現実的な美となるのである。

次に、美の判断と認識における判断の差異について述べる。認識における判断は、主体(内的要素——原型)と対象(外的要素——感性的内容)の照合によってなされる。美的判断も同様に主体と対象の照合によって成立する。この照合の段階において、知的機能が作用すれば認識となり、情的機能が作用すれば美的判断となるのである。つまり対象のもつ物理的要素の調和を知的にとらえれば認識となり、情的にとらえれば美的判断となるのである。しかるに知と情の機能は全く別のものではありえないから、美的判断にも認識が伴うのが常である。例えば「この花は美しい」という美的判断は、「これは花である」というような認識を伴っているのである。この関係を図に表せば図7—4のようになる。