7芸術論 統一思想から見た愛と美の類型

(一) 統一思想から見た愛と美の類型

目的を中心として主体と対象が授受作用することによって美が決定される。したがって見る人(主体)によって決定される美は異なり、また対象(芸術作品、自然物)の種類によっても美は異なるのである。そのように美には無限な多様性があるが、似かよった美をまとめることによって、美の類型が立てられる。従来の学者たちの中にもそのような美の類型を提示した者がいたのである。

統一思想から見れば、すでに指摘したように愛は美と不可分の関係にあって、美は愛を離れてはありえない。父母が子供を愛すれば愛するほど子供はそれだけ美しく見えるように、愛が量的に大きくなれば美も量的に大きく感じられるのである。愛と美は主体と対象の授受作用によって相対的な回路を成しているからである。つまり主体と対象が愛を授受するとき、与える側は愛を与え、受ける側はそれを美として受け取るのである。そのように愛と美は表裏一体を成している。したがって美の類型を考えようとするならば、まず愛の類型を考えればよいのである。

神の愛は家庭を通じて分性的に現れる。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛の三つの分性的な愛がそれである(子女の愛に含まれている兄弟姉妹の愛を別にすると四つの分性的愛になる)。この三つの形態の分性的愛が愛の基本形であって、その基本型の愛は、さらに、(1)父性愛、母性愛、(2)夫の愛、妻の愛、(3)息子の愛、娘の愛、に分けられる。

三つの分性的愛が両性に分化され、それぞれ対になった片側的な愛(片側愛)となるのである。そしてその六種類の片側愛はそれぞれ細分化され、さらに多様な愛として現れる。例えば父は厳格さ、雅量、広さ、荘重さ、深さ、畏敬などをもっているために、父の愛は、厳しい愛、雅量のある愛、広い愛、荘 重な愛、深い愛、畏敬の愛などとして現れる。それに対して母は温和で、平和的な面をもっているために、母の愛は優雅な愛、高尚な愛、温かい愛、繊細な愛、柔和な愛、多情な愛などとして現れる。

そして夫の愛は男性的な愛であって、妻に対して、積極的な愛、頼もしい愛、悲壮な愛、果断性のある愛として現れる。妻の愛は女性的な愛であって、夫に対して、消極的な愛、内助的な愛、柔順な愛、つつましい愛として現れる。

また子女の愛は、父母に対する孝行な愛、服従する愛、頼る愛、甘える愛、滑稽な愛として現れる。その他、兄の弟や妹に対する愛、姉の弟や妹に対する愛、弟の兄や姉に対する愛、妹の兄や姉に対する愛もあるが、これらはみな子女相互間の愛として子女の愛の概念に含まれる。このように三つの愛の基本型が片側化され、さらに多様化されて、無数の色あいをもつ愛となって現れるのである。

このような愛の類型に対応して美の類型が現れる。まず愛の三形態に対応する、父母美、夫婦美、子女美という三形態の美の基本型が立てられる。それがさらに(1)父性美、母性美、(2)夫の美、妻の美、(3)息子の美、娘の美、という六つの片側美として区分される。そして、それらはさらにいろいろな特性をもつ美として細分化されるが、それは次のようになる。

父性美……厳格美、雅量美、広濶美、荘 重美、深奥美、畏敬美

母性美……優雅美、高尚美、温情美、繊細美、柔和美、多情美

夫の美……男性美、積極美、信頼美、悲壮美、果断美、勇敢美、慎重美

妻の美……女性美、消極美、内助美、従順美、悲哀美、優しい美(明朗美)、つつましい美

息子の美…男児的な特性をもつ孝誠美、服従美、頼る美、幼 若美、滑稽美、甘える美

娘の美……女児的な特性をもつ孝誠美、服従美、頼る美、幼若美、滑稽美、甘える美

父は子供に対して、いつも穏やかな温かい愛ばかり与えるのではない。子供が間違ったことをしたときは厳しくしかったりする。そのとき、子供は気分が悪いかもしれないが、あとになって感謝する。春のような温かい愛だけではなく、冬のような厳しい愛も愛の一形態なのである。そういう厳しい愛も子供にとっては美として感じられるのであるが、それがすなわち厳格美である。あるいは子供が何か大きな間違いをして、父にしかられるだろうと思いつめて家に帰ってきたとする。すると父が「まあ、いいよ」と許してくれる時がある。子供はそのとき、父から海のように広い美を感ずるようになる。それが雅量美である。すなわち、父からいろいろな愛を受ければ、それに応じて子供はいろいろなニュアンスの美を感ずるのである。それに対して母の愛は父の愛とは違っている。母の愛はとても温和であり、平和的である。そのような母からの愛を子供は優雅美、柔和美などとして感じるのである。

夫の愛は、妻にとっては男性らしさ、凛々しさとして感じられる。それがすなわち男性美である。そして妻の愛は、夫には女性らしさ、和やかさ、優しさとして感じられる。それが女性美である。

父母を喜ばせようとするのが子供の本性である。子供は勉強をしたり、絵を描いたり、踊ったりすることによって、父母を喜ばせようとする。それが子女の愛である。そして父母はそれを美としてかわいらしく感じるのである。あるいは滑稽でたまらない場合もある。それを滑稽美という。しかも子供が成長するにつれて、年齢に相応した美が父母に感じられる。また同じ子女の美であっても、男の子から感じる美と女の子から感じる美は異なる。前者は息子の美であり、後者は娘の美である。子女同士、すなわち兄弟姉妹の間にも、兄弟の愛と姉妹の愛に対応して特有の美が現れる。すなわち兄弟美と姉妹美が現れる。そのように人間が幼い時、家庭において成長する間、多様な美の感情を体験するようになるのである。

ところで以上のような多様な美の感情が複合、分離または変形されて、千態万象の美が感じられる。自然や芸術作品に対する時に感じられる美の感情は、すべてそのように家庭において形成された美の類型に由来しているのである。すなわち、家庭を基盤とした人間関係において形成されるいろいろな形態の美が、自然に転移され、作品に転移されたのが、自然美、作品美の美の類型なのである。

例えば峻険な高い山や、高い崖から落ちる滝を見るとき、人は荘厳な美を感じるが、それは父性美の延長または変形である。静かな湖や、のどかな平野から感じる美は、母性美の延長、変形である。また動物の仔や植物が芽を出すときのかわいらしさは、子女美の延長、変形である。芸術作品の美の場合も同様である。聖母マリアの絵や像は、母性美の表現である。またゴシック様式の建築は、父性美の延長、変形と見ることができる。