8歴史論 分立の法則

(二) 分立の法則

創造主は神のみであるために、創造本然の人間は常に神とのみ関係を結ぶようになっていた。しかし堕落によって、アダムはサタンとも関係を結ぶようになってしまった。それでアダムは神も相対することができ、サタンにも相対することができる中間位置に置かれるようになったのである。それゆえ神がアダムに相対しようとすれば、サタンもアダムに相対できるようになったのである。神はそのような非原理的な立場にあるアダムを通じて原理的な摂理をすることができなかった。そこで神はアダムが二人の息子を生むようにさせて、それぞれ神の側とサタンの側に分立されたのであり、神の側には弟のアベル、サタンの側には兄のカインを立てられたのであった(5)。

神はカインがアベルに従順に屈伏することによって、カインとアベルを共に神の側に復帰しようとされた。神の側にあった人間(アダム)がサタンの誘惑に屈伏して堕落したために、蕩減復帰によって、サタンの側のカインが神の側のアベルに従順に屈伏しなければならないのが原理であったからである。したがってカインとアベルが神に供え物をするとき、サタン側の立場のカインは直接神に供え物をするのではなくて、アベルを通じてなさなければならなかった。ところがカインは直接神に供え物をなしただけでなく、ついにはアベルを打ち殺してしまった。その結果、歴史は罪悪歴史として出発するようになったのである(6)。しかし神の側の立場に分立されたアベルが最後まで神に忠誠を尽くした心情の基台が残っていたので、それを条件として、神は歴史を通じてサタン世界から善の側の人間を分立することができるようになったのである(7)。

神は善の側の個人を立てるところから始めて、善の側の家庭、氏族、民族、国家、世界を分立しながら、次第に善の側の版図を拡大された。ところが神の摂理に対抗するサタンも同様に、神に先立って、悪の側の個人から始めて悪の側の家庭、氏族、民族、国家、世界を立てながら悪の版図を拡大してきたのであり、そうすることによって神の摂理を妨害してきたのである。

歴史的に善の側の人々(聖賢たち)は神のみ言を悪の側の人々に伝えようとしたが、悪の側の人々は聞き入れず、かえって武力でもって迫害し攻撃を加えてきた。そこで神の側がそれに応戦するという立場で闘争が展開されてきた。それゆえ歴史上には、善の側の個人と悪の側の個人、善の側の家庭と悪の側の家庭、善の側の氏族と悪の側の氏族、善の側の民族と悪の側の民族、善の側の国家と悪の側の国家、善の側の世界と悪の側の世界の間に闘いが展開され、今日まで続いてきたのである。したがって歴史は善悪闘争歴史としてつづられてきたのである。

しかし、いくら一方が善であり他方が悪であるといっても、復帰歴史の過程においては完全なる善や完全なる悪はありえない。相対的に神の摂理により近い方が善の側に、遠い方が悪の側に分立されたのである。

つい最近まで、世界は善の側の世界と悪の側の世界の二大陣営に分けられていた。それが、とりもなおさず自由世界と共産世界、すなわち宗教(特にキリスト教)を認める国家群と宗教を否定する国家群であった。

神が世界を善の側と悪の側に分立された目的は、悪の側が善の側に屈伏することによって、悪の側をも救って神の側に復帰するためであった。したがって、この両陣営の闘争は神の摂理により、最後には善の側が勝利するようになっていたのであり、また実際にそうなったのである。今日、最終的には、自由世界と共産世界の統一はメシヤを迎えることによってなされる。アダムの不信仰によってカインとアベルに分立されたのであるから、後のアダムであるメシヤによってカイン側とアベル側の統一が成し遂げられるのである。