9認識論 認識の過程

(五) 認識の過程

人間は認識を通じて十分な知識を得るが、そのとき一定の過程を経るようになる。その過程が蘇生、長成、完成の三段階としての感性的段階、悟性的段階、理性的段階である。万物が成長するのに蘇生、長成、完成の三段階を経るのと同様である。

感性的段階の認識

これは認識過程の蘇生的段階である。この段階では、まず外的自同的四位基台が形成される。意識的あるいは無意識的な目的を中心として、主体(人間)と対象(万物)の間に授受作用が行われ、対象の内容と形式が主体の感覚中枢(感性)に反映されて、映像または表象を形成する。それが感性的内容と感性的形式であって、これを「感性的認識像」という(図9—2)。

この段階が認識の感性的段階である。そのとき主体(感性)は関心と原型を備えているが、この感性的段階の原型はまだ認識作用に積極的に関与していない。感性的段階において形成される感性的内容や感性的形式は断片的な映像の集合にすぎないのであって、対象に似た統一的な映像とはなりえない。したがってこの段階では、対象が具体的に何なのか知ることはできない。

悟性的段階の認識

悟性的段階は、認識過程の長成的段階である。この段階において、内的な自同的授受作用によって内的な自同的四位基台が形成されるが、そのとき感性的段階から伝えられた断片的な映像が統一される。

この内的授受作用の中心となる目的は、感性的段階における外的四位基台の目的と同じであって、原理的および現実的目的がその中心となる。そのとき主体の位置にくるのは内的性相すなわち心の機能的部分であるが、認識において、それは知情意の統一体となっている。また心は、生心と肉心の合性体としての本心であって、それは動物の本能の場合とは次元が異なっている。認識において生心の機能は価値判断を主管し、肉心の機能は感覚を主管し、両者が合わせて記憶を主管する。したがって生心と肉心の合性体である本心は、認識において価値(真善美)を指向しながら、感覚を統括し、記憶を主管するのである。

そこで認識において、そのような心(本心)の機能的部分を特に「霊的統覚」と呼ぶことにする(32)。そのように認識において内的性相は、統覚力、対比力、価値判断力、記憶力として作用するが、実践においては、主体性としての価値実践力としても作用するのである。

内的四位基台の対象の位置すなわち内的形状には、感性的段階の外的四位基台において形成された感性的認識像すなわち感性的内容と感性的形式が移されてくる。すると、この感性的内容と感性的形式に対応する原映像と思惟形式すなわち原型が、霊的統覚によって記憶の中から引き出されてくる。そしてこの二つの要素、すなわち感性的認識像と原型が共に内的形状を成すのである。

そのような状況において授受作用が行われるが、その授受作用は対比型の授受作用である。主体である霊的統覚が原型と感性的認識像という二つの要素を対比(対照)して、その一致または不一致を判別するからである。そのような内容を図で表せば、図9—3のようになる。

この対比によって認識がなされるのであるが、そのような対比を統一認識論は照合(collation )という。ここに認識は照合によってなされるという結論になる。したがって、統一認識論を方法から見れば照合論となるのである。それに対してマルクス主義認識論は反映論であり、カントの認識論は構成論であった。

しかし、悟性的段階においてなされる一回の認識(内的授受作用)では、認識が不十分であるか、認識が成立しない場合がある(33)。その時は、新しい知識を得るまで、実践(実験、観察、経験など)を行いながら内的授受作用を継続していくのである。

理性的段階の認識

理性的段階は、認識の過程における完成的段階である。ここで理性とは、概念(観念)による思惟の能力をいう。理性は悟性的段階の認識においても、判断力、概念化の能力として作用するが、理性的段階の認識においては、悟性的段階において得られた知識を資料として、思惟作用によって新しい知識を得るのである。

結局、理性的段階における認識とは思考である。これは原相における内的発展的四位基台による構想(ロゴス)の形成に相当するものである。思考は心の中の授受作用によってなされるが、それは対比型の授受作用である。すなわち、以前からもっている内的形状の中のいろいろな要素(観念、概念、数理、法則など)から必要なものを選んで、内的性相がそれらを連合、分離、分析、総合することによって、いろいろな観念(概念)をあれこれと操作するのである。観念(概念)の操作とは、内的性相が内的形状の諸観念や諸概念を対比することによって、すなわち対比型の授受作用を行うことによって、新しい観念(概念)を得ることを意味する。例えば、いろいろな観念の中から「父」という観念と「息子」という観念を対比して、適当であると感じられたならば、この二つの観念を結合して「父子」という新しい観念を得るのである。

またもう一つの例として、いろいろな多くの概念の中から「社会」という概念と「制度」という概念を対比して、適当であると感じたならば、この二つの概念を合わせて「社会制度」という新しい概念を作る。そのように、いろいろな観念や概念の中から必要なものを選び出し、結合させて、新しい観念や概念を作ることを観念(概念)の操作というのである。そのような観念(概念)の操作を繰り返しながら知識は増大していくのである。この内的な授受作用において、内的性相は霊的統覚としての機能を果たしているのである。理性的段階の認識は、内的発展的四位基台の形成を通じてなされている(図9—4)。

理性的段階の認識において、新しい知識の獲得はその度ごとに判断の完結を伴いながら連続的になされる。すなわちいったん得られた新しい知識(完結した判断)は思考の資料として内的形状の中に移されて、次の段階の新しい知識の形成に利用される。そのようにして知識(思考)は発展していくのである。かくして内的発展的四位基台形成を反復しながら、知識は発展していくのである(図9—5)。

内的四位基台の発展は実践を並行しながら行われている。すなわち実践を通じて得られた結果(新生体)が内的四位基台の内的形状に移されて、新しい知識の獲得に利用される。新しい知識が得られれば、再び新たな実践を通じてその真偽が検証される。そのようにして、反復的な実践すなわち反復的な外的発展的四位基台形成が認識のための内的発展的四位基台の形成に 並行して行われるのである(図9—6)。